前だけを…

 

第10,5話   月夜の下で


 

 

『使徒、弐号機に接触!』

『ぐぅぅ〜! こんの〜離れなさいよ!』

 マグマの中、D型装備の弐号機に使徒が周囲をかなりのスピードで泳ぎ、体当たりを繰り返す。

 弐号機は必死に振り払おうとするが、動きが制限されるD型装備の上、素手ではいささか分が悪い。

『アスカッ!』

 火口に待機していた初号機がプログレッシブナイフを投げ込む。

 が、火口の奥深くまで潜行している弐号機にナイフが到達するまで時間がかかりそうだ。

『弐号機引き上げ急いで!』

『こんのっ! って………』

 弐号機の目前まで来た使徒はがばぁと、その大きな口を開ける。

『ま、また口ぃ〜〜〜〜!?』

 使徒は弐号機の胴体に齧り付き、その牙が弐号機に食い込む。

『このままではD型装備が持ちません!』

『そんな………この環境化の中、口を開くなんて………』

 悲痛なオペレーターの報告と技術部長の驚愕の声が響く。

『アスカ! なんとか振りほどくのよ! このままじゃ、D型装備がマグマの圧力で潰れるわっ!』

『やってるわよっ!』

『初号機のナイフ、あと5秒で弐号機に到達します!』

 オペレーターの声に弐号機は上方向に手を伸ばし、ガシッとその手にプログレッシブナイフを掴む。

『これさえあればっ! こんのぉぉぉ!!』

 

ギィィィィンッ

 

 弐号機は両手でナイフを逆手に持ち、そのまま使徒にその高速振動する刃を突き立てる。

『駄目だわ。このマグマの状況下に適応してるのよ。プログレッシブナイフ程度じゃ刃が立たない!』

『どうしろってーのよーー!!』

 ガンガンッと何度もナイフを使徒へ叩きつけるが、ほとんどダメージを食らった様子は無く、その間にも使徒の牙はD型装備の装甲に食い込んでいく。

『アタシはこんな所で負けられないのよーー! この後、温泉が待ってるんだからーーー! わざわざ事前に宿題をまとめてやったのに、負けたら全部台無しじゃないーー!!』

 弐号機は限界の限り暴れ続け………突如として、その動きを止める。

『アスカ!? どうしたの!?』

………宿題……漢字………そうだっ! 熱膨張!』

 使徒に突き立てていたナイフを弐号機は翻し、自分を吊るす命綱の一つである冷却パイプを一本切り離す。

『これでも食らえーーー!』

 パイプを掴むと、弐号機はそのパイプを使徒の口へ自分の手ごと捻じ込む。

『熱膨張……そういうことね! マヤ、2番パイプに冷却剤を集中!』

『は、はいっ!』

 パイプから冷却剤が使徒の体内へ大量に流れ込む。

 冷却剤を流し込まれた使徒はみるみる内にその身体をバラバラヘ自壊させていった。

『パターン青消滅! 使徒の殲滅を確認しました!』

 

 

 

プツン

 そこで映像が終わる。

「これが………今回のアタシの活躍よ!」

 勝気な赤毛の少女―――アスカはスクリーンの前のテーブルの上に立ち、これでもかといわんばかりに胸を張る。

 『おおーっ』とおざなりに声を上げながらまばらに拍手したのは、第8使徒との戦闘映像を見ていた観客ミユウ、サキ、レイの本部待機組3人だ。

 ここはシンジが予約した温泉宿の一室。

 アスカは戦闘記録の映像をわざわざ機材まで持ち出して、ミユウ達に見せびらかしていた。

 機密漏洩もなんのその。もちろんこの事がばれたら唯では済まないが、ばれなきゃいいと開き直っていた。

「あーちゃん、すごーいっ♪」

「ふっふ〜ん♪」

「ほんと、一人で使徒やっつけちゃうなんて凄いね」

「当然でしょ〜♪」

「………でも、碇君ならもっとスマートに倒せていたわ」

「そうそう……って、なんですってーーー!?」

 褒められていい気分になっていたアスカだったが、ポツリと言ったレイの一言に激昂した。

 レイに掴みかかろうとするアスカに、ミユウがまあまあと抑えに入る。

「それにしてもアスカ、温度差による熱膨張で倒すなんてよく思いついたね」

「ま、まあねっ!」

 ミユウの言葉にアスカは威張りながら、影で汗を垂らしていた。

 使徒殲滅時に『熱膨張』の文字が出てきたのは、その前夜のシンジに出された宿題の問題にあったからだ。

(まったく……、このアタシが質問したのに、シンジの奴、何が『はい、これ』よ! いちいち辞書で引かなくたって……)

 もっともわざわざ辞書で引いたからこそ、覚えていたのだが。

「そ、そういえばシンジとマナはどこにいったのよ?」

 話題を逸らそうとアスカは周りを見回す。

「マナは知らないけど、シンジ君だったら荷物受け取りにいったって」

「荷物?」

 

 

 

 一方、その頃のシンジ。

「クワァーーー! クワァーーーー!!(大泣)」(※訳「うわぁぁぁん! シンジさぁぁぁん〜〜〜!!(大泣)」)

「ぺ、ペンペン、なんで宅急便で………(汗)」

 箱詰めにされ、クール宅急便で送られてきたペンギンに泣かれて困っていた。

 

 

 

>ミユウ

ガラーッ

「みんなーーー! 温泉行こーーー!」

 みんなでお喋りを楽しんでいると、マナがいつも以上のハイテンションで部屋に飛び込んできた。

「温泉って………まだ4時前だよ?」

「温泉に来たら、まずイの一番で温泉に入らなきゃーー!」

 だめだ。もう既にこっちの言葉なんて耳に入ってない。

 横を見るとアスカとレイも諦めた様に首を横に振っている。

「そうだよねっ♪ ボクもおんせん入りたーいっ♪」

 ………基本的にマナと同じノリのサキちゃんは無視するとして。

「どうする?」

「別に良いんじゃない? 他にすることもないし」

「………私もそう思う」

 アスカとレイの二人も賛成みたいだし……ま、いっか。

「どっちにしても、シンジ君に声掛けてから行かなきゃね」

 私はそう言って部屋を出ようとして、人影を見―――立ち止まる。

バフッ

「む〜、痛いよぉ〜……ミユ、いきなり止まらないで〜」

 立ち止まった私の背中に鼻をぶつけたサキちゃんが文句を言ってくるが気にする余裕はまったくと言ってなかった。

 私はピシャンと襖を閉めてくるっと反転すると、みんなに向かって引き攣った笑みを浮かべる。

「あ、あはは………みんな、お風呂はあとにしない? というか、すぐにそこの窓から脱出―――もとい、外出することを提案するよ」

「………なに言ってんのよ?」

 額からダラダラと流れる汗と奇妙な口調を不信に思ったのか、アスカが眉をひそめて聞いてくる。

「い、いいから素早く迅速に退避しないとっ……!」

 

ガラッ

 

「何で素早く迅速に退避するのかな?」

 

ギシッ

 

 後ろから聞こえてくる声に私だけではなく、その場にいた全員が石の様に固まる。

「退避とやらは中断して、僕の問いに答えてくれると嬉しいんだけど?」

 ぎぎぎっと首を後方に向けると、ペンペンを抱きかかえてにこやかに笑うシンジ君がいた。

 危険危険危険―――と私の何かが激しく警鐘を鳴らしている。

 他の皆も同じ印象を受けているようで、引き攣った顔でジリジリと後ずさりしている。

 それはそうだ―――普段誰かが悪さをして、さわやかに罪人に処罰を言い渡す『お仕置きモード』に入っている笑顔だったのだから。

 例えば夕食抜きとか例えば一週間おやつ抜きとか例えば宿題一か月分とか―――――。

「ミユウ、サキ、綾波」

 その罪人の名前を告げる声に私とサキちゃんとレイはビクンと体を震わせる―――同時にアスカとマナが胸を撫で下ろしていたりする。

「「「は、はいっ!」」」

「………今さっきね、ペンペンがクール宅急便で送られてきたんだ」

 あくまでさわやかに罪状を読み上げるシンジ君。

 名前を呼ばれた私たち三人は気を付けの姿勢で直立不動だ。

「誰が送ったか知ってる?」

「し、知らない! サキちゃんじゃないの!? そんな無理な事するのはっ!!」

「酷いよミユ! ボクそんなごくあくひどーな事しないもん!! レイはどう思う!?」

「私も知らない………けど、乱暴者のミユウが一番怪しい」

 醜いと言うなかれ。

 誰しも自分の身が可愛いのだ。

「三人とも」

 

ビクンッ

 

 私達の罪の擦り付け合いを止めたのは、笑顔でいるのに平淡なシンジ君の声。

「誰がやったかは知らないけど、つまり三人ともペンペンの事はすっかり忘れたんだね? ちゃんと連れてくるように言っておいたのに」

「私はレイが連れてくるものだとばかり思ってたからっ!!」

「………違うの……いつもはサキが連れてるから」

「ボ、ボク、最近ペンペンとあんまり仲良くないしっ! ミユやレイの方が………!」

 

バンッ!!

ビクンッ

 

 笑顔のまま―――コメカミに青筋が走っていたが―――壁を平手で叩くシンジ君。

 私達は恐怖の余り、再び口を閉じる。

「前にミサトさんに聞いたことがあるんだけど………ペンペンってね、人間の幼児程度の知能があるんだって」

「そ、そうなの……」

「ボク初耳だなぁ………」

「私も初耳………」

「で、普通幼児が暗い段ボール箱に詰められて、宅急便で送りつけられたらどう感じるかな?」

 シンジ君の冷たい視線が私達3人に降り注ぐ。

 黙りこんだ私達にシンジ君は溜息をつくと、抱いているペンペンの頭を撫でる。

「怖かったんだよね、ペンペン」

「クワァ………」(※訳「くえぇ………」)

「それで、温泉を非常に楽しみにしてた温泉ペンギンのペンペンを置き去りにした三人にはどういう罰がいいかな………アスカ?」

「ア、アタシッ!?」

 急に話を振られたアスカはわたわたと狼狽し、目を泳がせる。

 マナに助けを求める視線を向けたが、即座に視線を逸らされる。

「僕としてはペンペンの気持ちを味わってもらうためにも、箱詰めにするのがいいかなって思ってるんだ。もちろん今日の夕食が終わるまで・・・・・・・・・・・

「さ、さすがにそれは酷いんじゃない………?(汗)」

 私はこれから自分の身に降りかかる災厄に身を震わせる。

 せっかく温泉に来たのに美味しい夕食を食べさせないと言っている所が鬼だ。

「ご、ごめんなさ〜〜〜い!! おにいちゃん、許して〜〜〜!(涙)」

「………ごめんなさい(涙)」

 ほぼ同時にサキちゃんとレイがシンジ君の足に縋りつく。

 え、私?

「ごめんなさい、もうしないから許して(涙)」

 もちろん即座に地面に這いつくばった。

 

 

 

>シンジ

「まったくミユウ達にも困ったもんだなぁ………」

 

パシャン

 

 僕は手で湯を掬い、その感触を確かめるようにぎゅっと握り締める。

「それにしても………温泉気持ち良いや………ペンペンもそう思うよね?」

「ク、クエ………」(※訳「そ、そうですね………」)

 温泉―――この宿自慢の大浴場だ―――につかっている僕の膝に乗っていたペンペンに話しかけるが………何故か恥ずかしそうに(少なくとも僕にはそう見えた)モジモジしている。

「………ペンペン、どうしたの?」

「クワワー!」(※訳「なんでもないですー!」)

 まるでなんでもないと言ってる様にバタバタと手を横に振るペンペン。

「そう? ならいいけど………」

 僕は口まで温泉に浸かり、目を瞑る。

 お風呂は命の洗濯ってね………。

 

 

 ―――父さんは何を求めているんだろう。

 ―――母さんとの一瞬の邂逅?

 ―――それとも、永遠の絆?

 ―――その為に皆を傷つけるの?

 ―――綾波を………道具にしてまで果たしたいことなの?

 

 

ガラッ

 

「………ん?」

 暖かい湯の中でまどろんでいた僕は、引き戸が開かれる音に現実に引き戻される。

 

 あれ………誰か来たのかな?

 けど、この宿に僕達以外の人って泊まってたっけ………?

 

 半ば眠りかけていた思考でそんなことを思う。

「うわぁ……こっちのお風呂も大きいね〜♪」

「ほんとひろーいっ♪」

「はしゃぐんじゃないわよ、バカマナバカサキ」

 

どぼんっ

 

 マナ!? サキ!? アスカ!?

 湯気で良く見えないが、入り口付近から聞こえてきた3人の声に思わず湯の中に突っ伏す僕。

「サキちゃん、走らないの! 転んで怪我するよ!」

「………サキの走るスピードで転んだら怪我だけじゃ済まない」

 ミ、ミユウに綾波まで………(汗)

 でも、なんでみんなが入ってくるんだ? ここは男湯の筈なのに。

 ………もしかして、間違えた?

 さぁっと自分の顔から血が引いていくのを感じる。

 ミユウのキックを受け、湯の中に沈む自分が鮮明に……しかも容易に想像できた。

 に、逃げなくちゃ………素早く迅速に。

「シンジ君、いるー?」

 

ズルッ

ゴスンッ

 

「を゛を゛を゛を゛………っ!」

 こそこそと湯船から上がろうとしていた僕は、ミユウの呼び声に足を滑らして、木で出来た湯船の淵に前頭部をぶつけて悶える。

「ちょ、ちょっと、シンジ君。大丈夫?」

 そう言って近づいてきたミユウは―――真っ白なワンピースの水着を身に着けていた。

「あ………?」

 自分の顎ががくんと落ちるのが分かる。

 イッタイナニガドウナッテイルンダロウ?

 状況が理解できずに固まる(体も思考も)僕に、これまたオレンジ色の水着を纏ったマナが話し掛けてくる。

「ほら、シンジ♪ わたしの水着姿どう〜♪」

 などと言いながらマナは両腕を上げてポーズを取りながら、僕に自分の身体を見せ付ける。

 僕は呆然とそれを眺め―――

「もうっ、シンジ君!」

「おにいちゃんっ!」

「………碇君」

 ミユウとサキ、それに綾波の冷たい視線に我に帰る。

「えーと………ここは男湯だよね? なんでミユウ達が入って来るんだよ」

「だって、その………まだ、水着見せてなかったからね」

 てへへと照れ笑いを浮かべながら、ミユウが僕に水着を見せるようにくるりと一回転する。

 またもや呆然としてしまったのは、ミユウの水着が背中は大きく大胆に開いていたのは………関係無いとも言い切れない。

「碇君、私も見て欲しい………」

 綾波も白のビキニの水着で近寄ってくる。

 なんか微妙に布の量が少ないような………(汗)

「むー、ボクも〜」

 そう言って近づいてきたのはヒラヒラが付いた水玉模様の非常に子供っぽい水着のサキ。

 あ、なんか気分が落ち着いた気がする(笑)

「………とにかく、僕は上がるよ。水着着てるからって、他の男性客来たらまずいだろ」

 

 ザバァ

 

「何言ってんのよ。この宿はアタシ達の貸切で………しょ………」

 僕が立ち上がると何故かアスカは言葉を詰まらせ、じぃっと僕の方を見てくる。

 いや、アスカだけじゃなくて、他の全員も僕に熱い視線を向けてきていた。

 みんなの顔が赤くなってるような………?

 それに視線が妙に下方向に………。

 みんなの視線を追っていき、自分の体を見下ろす。………って。

 

 そこには腰に巻いていたタオルの取れた僕。

 

「うわああああ! みんな見るなよーーー!!」

「「「「ご、ごめんなさい〜〜〜!!」」」」

 

 僕の絶叫に全員顔を真っ赤にして飛び出していった。

 

「ねえねえ、おにいちゃん。それ何? ボクには付いてないよ〜?」

「サ、サキ………(汗)」

 好奇心旺盛なお子様一人だけ除いて。

 

 

 

 それからは………まあ、いつも通り騒がしい一日だった。

 

 

 

>卓球場

「ふっふっふ………卓球の鬼と呼ばれたこのマナちゃんに勝てるかなー?」

「マナ。そのネーミングセンス、べたべたすぎ」

「えいっ! やあっ! とうっ!」

「このっ! サキちゃん、やるねっ!」

「アンタ達………卓球の球が残像を残すようなスピードで打ち合うんじゃないわよ(汗)」

「………サキとミユウに、常識を問うなんて馬鹿らしいからやめておいた方がいい」

「「レイ〜?(怒)」」

 

 

 

>大宴会場

「はぐはぐもぐもぐ」

「サキ、口の中に物をいっぱい詰めて食べないの」

「だって、おにいちゃ〜ん………キノコ、美味しいんだもん」

「へえ〜、これが日本の『山のシャチ』って奴ね」

「………山の幸よ」

「うっ、うっさいわねっ! ジョークよ、ジョーク!」

「みんな今日は無礼講よん♪ あたしの奢りだからじゃんじゃん飲んでね〜♪」

「一番マナちゃん、一気飲み逝きますっ♪」

「私も飲んでみようかなぁ………」

「ミサトさん! 僕たちまだ中学生なんですから、ビールを勧めないでください! マナとミユウも飲もうとしない!」

 

 

 

>大部屋和室

「部屋分けはこれでいいわね?」

「ボク、おにいちゃんとがいいよぉ〜」

「………私も碇君とがいい」

「サキちゃん! レイ! 何言ってるのよ!」

「アンタ達がそう言ってたらいつまでも決まるわけないでしょ。シンジは個室でペンペンと。これは決定済みよ!」

「「「え〜」」」

「………なんで、ミユまで不満そうな声上げるの?」

「あ、あはは………なんででしょう?(汗)」

「あはー♪ 恒例の枕投げよー♪」

「クワァ〜〜〜♪」

「マナ………ペンペンと枕投げしないでよ(汗)」

 

 

 

>シンジ

 僕は横で仰向けになって寝ているペンペンにタオルを掛けてやり、部屋をそっと抜け出した。

 みんなはもう………寝たかな?

 他のみんなが泊まっている大部屋の前を横切り、中の様子を想像した。

 

 サキとマナが布団蹴飛ばして大の字に寝て、間のミユウが苦しんでて。

 アスカは酔っ払ったミサトさん辺りに抱きかかえられて呼吸困難に陥って。

 一人だけ離れたところでちゃっかり綾波が安眠してて。

 

 あまりに容易にできた想像にクスクス笑いを漏らしながら、僕は月明かりで照らされた廊下を歩いていく。

 目的はそう、アレだ。

 諸事情があって先ほどは入れなかったもう一つの温泉―――露天風呂だ。

 さっき入った温泉は屋内の大浴場だったが、今度は屋外にあるという温泉に行くことにしたのだ。

「えーと………こっちかな?」

 看板を途中で見つけ、その指示通り歩いていくと程なく目的の場所へ辿り着く。

 明朝体で『男』と書かれた暖簾のれんをくぐり、脱衣所で浴衣を脱いだ。

 

ガラッ

 

 引き戸を開けると、そこには大きな岩で囲まれた透き通った湯質の露天風呂が広がっていた。

「よし、誰もいないみたいだな」

 周囲を見回し、それだけ確認するとタオル片手に温泉に歩いていく。

 軽く全身を湯で流してから、ゆっくりと体を温泉の中に沈める。

 

チャプン

 

 先ほどの大浴場と湯は変わらない筈だが、身が蕩けるほど気持ち良かった。

 僕は岩に寄りかかると、夜空を見上げた。

 

 星………綺麗だな………。

 

 なんでも昔はここまで綺麗に星空は見れなかったらしいが、セカンドインパクトの影響で濁っていた空気が吹き飛ばされて、空がまっさらに浄化されたそうだ。

 僕は月明かりに照らされた温泉の中で静かに息を吐いた。

 

 思えば遠くに来たもんだ………ってね。

 

 空を見上げたまま、口の中で呟く。

 

 たった……そう、たった数ヶ月前には今の生活なんて考えられなかった。

 いや、それどころか未来の事なんて、考えたくも無かった。

 漠然と―――このまま流されるように生きて、流されるように死んでいくとそう信じていた。

 それなのに―――

 

 ぐっと湯の中で右手を握り締める。

 まるで形の無いお湯を掴もうとするように。

 

 それなのに、今の僕にはこんなにもたくさんのものがある。

 守りたい、無くしたくないモノがある。

 守ってみせる………絶対に。

 君達を―――全てのモノから。

 

ガラッ

 

 デジャヴ。

 引き戸を開ける音に先ほど起こった騒ぎを思い出す。

 って、ここの宿には僕たちしかいないから、また乱入?

 少々呆れながら、今度は取れないようにしっかりとタオルを腰に巻く。

 

 ―――と、ここで遅まきながらあることに気がついた。

 僕がこんな時間にこの風呂に入った理由を。

 そして、僕がこの時間に露天風呂に入っていると言う事を誰も知らない筈だと言う事を。

 

「こっちの温泉も気持ち良さそう………ん、一人で抜け出してきた甲斐あったかも♪」

「ミ、ミユウ………」

「えっ?」

 

 前者は混浴だったから。

 後者は言わなくたってこんな時間に入ってくると思わなかったから。

 つまりは―――だ。

 

「……………」

「……………」

 

 小さなバスタオル一枚で入ってきたミユウと正面からぶつかってしまった訳で。

 

 

 

 もう、何分立っただろうか。

 10分、いや、数十分はそうして見つめ合っていたかもしれない。

「くしゅんっ」

 それを解いたのはミユウの小さなクシャミだった。

「と、とりあえず……入ったら?」

 赤面し慌てて後ろを向きながら、ミユウにそう促す。

「う、うん……」

 少しの沈黙の後、後ろからちゃぷっとお湯の中に入る音が聞こえる。

 バクバクと自分の心臓が破れそうなほど鼓動しているのが分かる。

 このまま行くと、僕は頭に血が上って卒倒してしまうのではないだろうか?

「………」

「………」

 後ろを向いたは良いが会話も無く、先ほど見た映像はくっきりと脳裏で再生リピートされていた。

 

 薄いタオル一枚で覆われていた白い肌、小さな膨らみ。

 そして完全に露出していた真っ白でシミ一つ無い綺麗なふともも。

 

「―――ぐはっ!!」

「ど、どうしたの?」

「なんでもないなんでもないっ!!」

 や、やばい………意識が朦朧としてきた………。

「………ねえ、シンジ君?」

「え―――?」

 

 そのミユウの声はとてもとても真剣なもので。

 パニックに陥っていた僕の頭は急速に冷えていく。

 

「あ、うん………何?」

 冷静さは取り戻したものの、頭はまだ若干ぼんやりとしたまま問い返す。

「シンジ君は………」

 ミユウはそこで一旦言葉を区切り、息を整えているようだ。

 僕に、何か気まずい事を話すように。

「シンジ君は、碇司令―――お父さんのこと、どう思ってるの?」

 

 

 

>ミユウ

 私が口にした言葉を受けたシンジ君は、黙り込んでしまった。

 やっぱり聞くべきじゃなかったかな………。

 でも、少しでもシンジ君の悩みを、苦しみを分けて欲しい。

 シンジ君はいつでも優しいけど、自分自身にはいつだって厳しいから。

「僕は………父さんの事はどうも思ってないよ」

「………嘘、だよ」

 シンジ君の搾り出すように吐いた言葉をゆっくり否定する。

「嘘じゃないよ。僕にとっての家族はミユウ達だけ―――」

 

パシャンッ

 

「えっ?」

 振り向き、後ろからシンジ君の首に腕を回して縋り付く。

 

 悲しかった。

 シンジ君は苦しんでる時だって、私には笑顔で優しい嘘をついて。

 悔しかった。

 私にはシンジ君の痛みが分からなくて。

 分かち合う事すら出来なくて。

 

「ごめん……ごめんねっ………」

 

 ただ悲しくて、悔しくて、胸が張り裂けそうで、謝る事しか出来ない自分がそこにいるだけだったから。

 

「なんで……ミユウが謝るんだよ」

 そう呟いたシンジ君の声は酷く寂しげだった。

「私には何も出来ない………シンジ君の何の役にも立てないから………」

 声が震える。

 せめて涙は零したくないのに、視界が歪む。

 馬鹿だな、私。

 本当に泣きたいのは、シンジ君の方なのに。

「そんな事無い―――そんな事無いよ、ミユウ」

「あ………」

 そっとシンジ君の手が、首に回していた私の手に触れる。

「ミユウはこうして僕の傍にいてくれる。約束をずっとずっと……守って」

「約束じゃない………私は……私自身がっ……シンジ君の傍に居たいだけ……」

「………そっちの方が嬉しいよ」

 きゅっと優しく手を握られる。

 しばらくその体勢でいたシンジ君は、ゆっくりと口を開く。

 

「父さんは……敵になるかもしれない。思い直して計画を中止してくれるかもしれない。もしかしたらゼーレに殺されてしまうかもしれない」

 シンジ君のその口調はどこか……やはり寂しげなものではあったけれど、

「でもどんな結果になっても―――僕は後悔しない」

 それでも、シンジ君は、

「僕が自分で決めたんだ。この道を………ミユウ達と歩いて行くって」

 とても―――強かった。

 

 

 

「あああぁっ………うああ〜〜!」

 そして、私はやっぱりシンジ君に抱きついて泣く事しか出来ない弱い存在だった。

 でも、こんな私でもシンジ君の助けになるのなら、私は―――

 

 

 

 

 

「あ、あのさ………ミユウ………」

「……ぐすっ………なあに?」

「その……背中に色々当たってる・・・・・・・から………早い所離れてくれると嬉しいかなぁって」

「き……きゃああああああ!!

 

ガスッ

 

 

 

 

 

 いつまでも。

 どこまでも。

 シンジ君と一緒に行きたい。

 シンジ君の選んだ道を。

 

 

 

 

 


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