前だけを…

 

第壱拾参話   使徒侵入


 

>シンジ

 どうにもこの試験は落ち着かない。

 いや、まさか、アスカのように裸が恥ずかしいだの、人権侵害だの騒ぐつもりはない。

 だが………何か嫌な予感がするのだ。

 最初は服もプラグスーツも着ていないので漠然と不安になっているのかな? などと考えていたのだが。

 ……やっぱり、違う気がする。

「うーん………」

『シンジ君。何をしているの? 早く先に進んで』

 その場に立ち止まり、腕組みをして考え込んでいるとスピーカー越しにリツコさんのキツイ言葉が飛んでくる。

 まあ、考えすぎかな。

 僕は一度息を吐くと、何度目になるか判らない殺菌室(クリーンルーム)へと歩みを進めるのだった。

 

 

 

 

>第十三研究室

 サブモニターにはチルドレン三人のサーモグラフィーによる肉体の体内温度だけが表示されている。

 リツコの指示に、技術部所属の部下達が各自忙しそうに手元の機器を操作しているが……実験に全く関わりのないミユウ・サキ・マナの碇家非チルドレン三人組は暇だった。

 

 もちろん、三人に実験に立ち会う義務はない。

 元々は実験どころかNERVに無関係な三人なのだから。

 それでも三人がほぼ毎回顔を出すのは、シンジ達と一緒に居たい。一緒の時間を共有したい。それだけだ。

 極稀に、シンジに買い物を頼まれて参加しなかったりはするのだが、基本的には毎回実験に付き合っている。

 

 実はそれでリツコや司令達、上層部の者達が疑心暗鬼―――やはりスパイなのではないか?―――を深めていたりするのだが、当人達に他意はない。

 

「あ〜あ〜、暇だなぁ……」

 欠伸交じりのマナの呟きに周囲の技術部所員からギロリと怒気の篭った視線が集まる。

 が、そこは碇家のマイペース女王。全く気にした様子はなく平然と再び大きな欠伸をかましちゃったりしてくれる。

「ほんと、暇だね〜」

 釣られる様に欠伸をしながら同意するのはサキ。

 面の皮が一万二千枚の特殊装甲と化しているマナと違って、こちらは単に気付いていないだけだろう。

「あ、あは、あはははは……」

 そして、その二人に挟まれて泣きそうな笑顔で空笑いしているのが、碇家第二の常識人(の筈)のミユウだ。

 マナのように気にしないで平然としていられる程神経は太くなく、サキのように気付かずにいられるほど純粋(てんねん)でもない。

 故に彼女は、徐々に膨れ上がる周りの怒気に愛想笑いの一つでも浮かべるしかなかった。

 腹の底でいつ隣の二人に蹴りを叩き込んで黙らせてやろうか、などと算段を練っているのは………仕方がないといえば仕方がない事なのだろう。

 

『ちょっとぉ〜! いつまでアタシ達を洗濯する気よー!』

 

 スピーカーからアスカのキンキン声が響き渡る。

 暇なサキマナが数えているだけでも―――ミユウは極度のストレス下に置かれ、それどころではない―――20回は全身をくまなく噴射式シャワーで洗われ、熱風で煽られ、センサーに通された筈だ。

 水洗い→乾燥→検査→水洗い→乾燥→検査………この工程を延々と繰り返すのである。アスカでなくとも切れる。

 現に隣のモニターに写っている(と言ってもサーモグラフィーだが)レイは疲労困憊で、ただでさえ無口な口を完全に開かなくなっている。

「あとほんの少しよ」

『ほんの少しって一体いつ!? さっきもそのまた前も似たような台詞聞いたわよっ!?』

「前に言ったのは『あと少し』、その前は『もう少し』よ」

『だーーーっ! んな事聞いてなーーーいっ!!』

 作業の合間に相手をするリツコに、良い様に手玉に取られるアスカ。

 もしかしたら、この言葉遊びで暇を潰しているのかもしれない。

 

 

 

 

 

「……?」

 ふと、リツコが言葉を止め、眉を潜めた。

 『3rd Children』と表示されているモニター内の人物が、立ち止まったからだ。

「シンジ君。何をしているの? 早く先に進んで」

 マイクを掴んで言葉をかけると、シンジはゆっくり歩き出す。

(……シンジ君でも疲れるのかしら?)

 ―――馬鹿な考えが一瞬脳裏を過ぎり、リツコは頭を振った。

 ここ最近、シンジの超人的な記録を読み続けていた所為で、普段もそれに相応しい行動を取っている筈………などと無意識の内に思ってしまったのだ。

 シンジの超人的な記録―――というのは、戦闘に関する物だけだ。

 しかも、『エヴァに乗った』状態で『本物』の『戦闘』をしている時という枕詞が付く。

 この3つの条件のうち、1つでも外れてしまえばシンジは標準の―――さすがにそれは語弊があるが―――中学生の物になってしまうのだ。

 

 

 例を挙げてみよう。

 まず、『エヴァに乗った』という条件を外してみる。

 つまり、『本物』の『戦闘』をしている時だ。

 本物とは少し言いがたいが、チルドレンには生身での戦闘訓練が義務付けられている。

 そこでのシンジの成績は―――はっきり言って平凡。それに尽きる。

 もちろん、普通の中学生にしては良い方だろうが、幼少の頃から訓練を受けているアスカやレイとでは比べ物にならない。

 実際、この訓練で二人にシンジが勝った事は皆無だ。

 

 次に『本物』を抜かし、『エヴァに乗った』状態での『戦闘』を見てみる。

 それに当てはまるのは、シミュレーターによるエヴァの搭乗・戦闘訓練だ。

 世界最高峰と言われる第七世代型演算コンピューターMAGIのシミュレーターだ、その精度は半端な物ではない。

 限りなく現実に近い……筈なのだが、シンジはその空間の中で三番目の成績―――つまりビリ―――を取る。

 戦闘中に起こる急激なシンクロ率の上昇、あのATフィールドを自在に操る力、それがMAGIに再現できないのだとしても………。

 酷すぎる。

 実際の戦闘時と比べ、反応速度が約47%も落ち、判断力が約40%落ち、武器の命中精度に至っては約63%も落ちているのだ。

 ふざけているのか、とNERVの技術部長赤木リツコとしては激昂したい所である。

 

 最後に、『戦闘』の項目だ。

 これは説明するまでもない―――彼は、戦闘以外で成績を残さないのだから。

 普段の訓練でシンクロ率やATフィールドの事もあるが、それはあくまで訓練―――『本物』という条件にも引っかかってしまう。

 

 

 これが、リツコが調べ上げたシンジの特徴の一つ・・だ。

 彼の特異性についていちいち上げていたらキリがない―――それはそれでリツコの探究心を多いに潤してくれるのでマイナスではないのだが(あくまでリツコには)。

 とにかく、能力という面では、この3つの条件を満たさない限り彼は普通の中学生同然である。

 だからこそこれまでも、そして今現在でも放って置かれている……と、リツコは踏んでいる。

 これが生身でも超人的な成績を残したら―――いや、超人的な能力を周りに示していたら―――間違いなく、不穏分子として碇司令に消されていただろう。

 もっとも、リツコが調べた結果・推測を端的にでも伝えたとしたら、消されてしまうだろうが。

 碇シンジは・・・・・初号機の中の彼女と・・・・・・・・・シンクロしていない・・・・・・・・・確率が高い・・・・・、と。

 

 

 

 

 

「わー……ねーねー、なんでこれ赤いの?」

 遂に暇度が臨界点に達したのか、唐突にサキがマヤの端末を覗き込みながらそんな事を言い出した。

 普段ならリツコの凛とした冷たい空気が辺りに充満しているので、無駄口を叩く空気などにならないのだが―――

 先ほどからの馬鹿コンビ(サキマナ)の言動と、リツコが深く思考に浸って現実に帰ってこない、さらに自分の作業は既に終わっている事によって、マヤは対応してしまった。

 それが不幸の始まりだとも知らずに。

「これはね、サーモグラフィーって言って、体の表面の温度を測定・画像化して映し出してる物なのよ」

「………む〜?」

「つまり、身体の温かい所ほど赤く表示されるの」

「あ、そっか♪ 赤いとあったかいもんねっ♪」

 サキの解釈の仕方に、微笑ましく思ったマヤはクスクスと笑いながら説明を続けた。

「くすっ……ほら、身体の中心に行くほど赤くなってるでしょ?」

「あ、ほんとだっ。凄いねっ♪」

「そうね」

 ここでの不幸は下手にほのぼのとし、マヤでなくても微笑ましい空気に包まれてしまった事だろう。

 マヤ以外の人間も大体の作業が終わってしまった事で手を止めて、そのやり取りを見守っていたし、

 いつもならストッパーとして働くミユウも、それを黙認してしまったからだ。

 

 そして、最大の不幸にして、最悪の要因が動き出す。

 

「へー、これシンジ?」

 ぐいっとサキとマヤの頭越しにヒマヒマ大魔王がモニターを覗き込む。

「む、む〜! マナっ、押さないでよっ!」

「いいじゃん、わたしに見せてくれたって」

「やだよっ! ボクが見てたんだもんっ!」

 普段ならこの二人も実験中はなるべく大人しく待っているのだが、長時間の実験でタガが外れてしまったらしい。

 そして、二人の喧嘩は、いつも通りにヒートアップしていく。

「もー、サキケッチーはやっぱりケチねー」

「む〜〜っ! ボク、サキケッチーじゃなくて碇サキだもんっ!」

「何年何月何時何秒、地球が何回回った日にそう決まったのよー?」

 どこの小学生の屁理屈だ、と見守っていたミユウは思ったが、思考は小学生どころか幼稚園児とタメを張るサキには有効だったらしい。

 みるみる内にその瞳に涙を溜めていくと、

「う、ふぇ、ボク、サキケッチーじゃないもん……おにいちゃんに……おにいちゃんに……」

 後一押しで涙腺のダムは決壊しそうなほど、爆発寸前まで追い詰められてしまった。

 さすがにこれはまずいと思ったミユウは、仲裁を図ろうと二人の間に無理矢理割り込んだ。

「もうっ、マナ! 言いすぎ! それに二人ともここをどこだと……」

 

 ―――と、割り込まれたサキは、泣いていた事もあってバランスを崩して、今までおろおろとうろたえていたマヤに寄りかかり、

 マヤは突然よりかかられ、思わずコンソールの上に手を付き―――

 

ピッ

パッ

 

 サーモグラフィーを通さない生の映像が、スクリーン一杯に映し出された。

「「きゃああああああああ!?」」

 マヤとミユウの声が協和して、実験室に響き渡る。

 幸いというか、なんというか………映し出されたのは男性であるシンジの裸体のみ(だが、もちろん無修正である)。

「あ、貴方達、何をしているの!?」

 ようやく事態に気が付いたリツコは、辺りを見回して唖然とした。

 いきなりの絶叫に思考の海から帰ってみれば、部下(マヤ)と子供達が少年の裸を見て大騒ぎしているのだから当然である。

 唖然としたのはリツコだけではなく、周りの技術部所員も呆然とするしか出来なかった。

 マヤとミユウは当たり前のように混乱しているし、サキは事態がいまいち飲み込めない。

 唯一、正常な思考を保ち、冷静な判断が出来ているマナは………うわー、などと呟きながらも、身を乗り出して映像を凝視していた。

『ちょ、ちょっと一体どうしたのよっ!?』

『………?』

『ミユウ、サキ、マナ! どうしんたんだ!?』

 チルドレンの方は、音声だけで映像が来ておらず、とりあえずその場に立ち尽くして戸惑っている。

 シンジなどは自分の裸体がドアップで映し出されているなど知るよしもなく、実験場の方で何かあったのかと真剣に叫んでいた。

 

「ねーねー、おにいちゃん」

 

 そんな混乱の状況の中、空気を全く読めない呑気な声が響いた。

 あまりに場違いな声に、思わず全員が混乱するのを止め―――次の言動を待った。

 

「おにいちゃんの股にぶら下がってるのってなに?」

 

ピシッ

 サキから発射された冷凍弾に、実験場の空気が、時間が、人間が、凍りつく。

 しかし、運命の神は用意周到なことに凍らせた後の破砕弾もきっちり用意していた。

 

「むー……前に見た・・・・時も思ってたんだけど、ボクにはついてないし」

 

 

 

『うわあああああ!! なんで見えてるんだよぉぉぉ!?』

「シンジ君ーーーっ!! どういう事ーーー!!」

「シンジー!! サキに手を出すのはあまりに鬼畜よー!?」

『きゃああっ! もしかして、アタシ達の方も見えてるんじゃないでしょうね!?』

「不潔よぉぉぉぉ!!」

 

 

 

 周りがパニックになった事で逆に冷静になったリツコは、襲ってきた頭痛を和らげようとコメカミを揉み解した。

「………なんでこうも、普段は無様なのかしらね」

 もっともである。

 

 

 

 騒ぎが収まったのは、真っ裸のままシンジが弁明し終わった後だった。

 サキの発言の件は、依然行った温泉旅行での事故だったのであっさり信用してもらえた。

 まあ……ミユウ、レイ、マナは言うに及ばず、さらにアスカ、果てはペンペンまでその現場を目撃(というか当事者)していたので当然ではあるが。

(※ 第10,5話『月夜の下で』参照の事)

 そして長々と予定より伸びてしまった起動実験は、リツコがお気楽三人組を叩き出し、助手のマヤに減給一ヶ月を言い渡してようやく開始された。

 

「シミュレーションプラグ、マギの制御下に入りました……」

 

 

 

>ミユウ

「もうっ!! サキちゃんもマナも反省してよねっ!」

「あ、あはー、そんなに怒らなくても……」

「ミ、ミユ。『たんきはそんき』だよっ」

「………追い出されたのは誰の所為だと思ってるのよーーっ!!!」

 私は声の限り怒鳴り散らすが、追い出される事になった原因の二人は知らん顔。

 まったく……なんでこの二人は毎度毎度、頭痛の種を作ってくれるかな。

 シンジ君に二人の事を頼まれてる身としては、ホント溜息が止まらない。

 私達は実験室を出て、いつも待合室代わりに使っている―――チルドレンの待合室はあるけれど、私達が使える待合室はないので―――自動販売機が置いてある休憩スペースに着いた。

ガチャコンッ

 自動販売機から炭酸の缶ジュースを購入すると、私はベンチに腰を下ろした。

 缶ジュースのプルタブを爪で弾こうとして………出来なかった。

 爪は昨夜切ったばかりで短かすぎ、プルタブに引っかからないのだ。

「あー、もうっ………」

 私がイラつきながらカリカリやっていると、目の端に缶ジュースの取り合いをやって騒いでいるサキちゃんとマナが映る。

 こうなってくると怒りより呆れが先に出てしまい、怒鳴る気にもなれない。

 

「それにしても、実験実験って……シンジ君達も大変だなぁ……」

 缶を開けるのを諦め、その冷たい感触を両手で握り締めながらぼーっと宙を眺める。

 

 

 

 ここでない時、ここでない場所。

 その時、私はまだ何も知らない子供で、お父さんの仕事にただ着いてきただけだった。

 周りで白衣を着た人達が慌しく動いている。

 怒声交じりの声が飛び交い、辺りは真っ赤なランプと鼓膜が破れるような警報が鳴り響いていた。

 お父さんはその内の一人、指示を出している偉そうな人に掴み掛かっていた。

 でも、ただ着いてきただけの……何も理解していない、何も理解できない私に出来ることはなくて。

 だから、私はそれを見上げ―――目が合った・・・・・

 

「ミユウ、離れろ―――!」

 

 暗転。

 

 

 

「……ミユ……ミユ!」

「わあっ!?」

 突如アップで現れたサキちゃんの顔に、私は持っていた缶ジュースを放り出してベンチから引っくり返った。

 受身すらとれず床に直撃した後頭部をさすりながら、涙目になって起き上がる。

「いったぁ……サ、サキちゃん、驚かさないでよ」

「だって、ミユ、無視するんだもん」

 ぷんぷんと言う擬音が聞こえてきそうなぐらい、可愛く頬を膨らませて怒るサキちゃん。

 相変わらず同い年とは思えないくらい可愛らしい―――って、戸籍上同い年なだけで、本当は1歳にもなってないんだよね。

 だけど、ポニーテールを揺らしながら『む〜、また無視する〜』と文句を言うサキちゃんは、ずっと前からそうだった・・・・・かのように、

 ずっとずっと前からこうして存在していたかのように、当たり前の存在だった。

 手を伸ばせば、こうして触れられる。

 髪に指を通せば、さらさらと水のような感触が伝わってくる。

 胸に抱けば、暖かな体温(ぬくもり)が伝わってくる。

 サキちゃんがシンジ君の……ううん、私達の家族になったのはまだ半年ほどしか経っていない。

 それはつまり、私がシンジ君に会ってから―――まだ半年しか経っていないと言う事でもあるんだ。

 

「マ、マナ〜、ミユが壊れちゃったよっ」

「あ、あはー、ちょっぴしストレス掛けすぎちゃったー?」

 

 お父さん達と暮らしていた時の私。

 シンジ君と会ってからの私。

 永遠のような、一瞬のような、幻のような今の時間。

 それはいつまで続くんだろう?

 ずっと? それともあとちょっと?

 私達はどこまで行くんだろう………。

 

「えいっ」

すぱーんっ

「ぶっ!?」

「ふぎゅっ」

 後頭部を襲った衝撃に、目の奥から火花が散ったような錯覚と共に今度は前のめりにベンチから転げ落ちる。

 とっさに床に手を付く暇もなく、私はべちゃっとヒキガエルのように這いつくばった。

「な、何っ!?」

「『な、何っ!?』じゃないでしょー。さっきから何度もぼけらーっとして」

 顔を振り仰ぐとマナがスリッパ片手に呆れた顔をしている。

 そのスリッパに『スカートを履いた人のマーク(ピンク色)』が描かれているのは非常に気になったが、とりあえず言い訳することにした。

「ちょ、ちょっと疲れてただけだってば……誰かさんたちが騒ぐから」

「ふーん……まー、いいけど。そんなことより早くどいてあげた方がいいと思うよー?」

「は?」

 マナの言葉に視線を下ろしていくと―――私のお尻の下に、目をぐるぐる回したサキちゃんが下敷きになっていた。

 あ、そうか。そういえばさっき、思考の中でサキちゃんを抱いてたような……あはは、私の妄想だったんじゃないんだー……って。

「サキちゃん!? だ、大丈夫っ!?」

「酷いよ、みゆぅ、まなぁ……」

「あはー♪」

「ご、ごめんね、サキちゃん」

 

 とりあえず………この慌しい時間は、そう簡単に終わりそうにないかな。

 はぁ。

 

 

 

>シンジ

『シンジ君、感触はどう?』

「えーと……ちょっとぼやけてるみたいです」

 リツコさんから掛けられた質問に、僕は曖昧な答えを返す。

 ようやく、身体の洗浄から開放された僕達は模擬体と呼ばれる物に乗せられていた。

 エヴァと違い、無骨な筋肉組織が剥き出しになっており、しかも上半身しか存在していなかった。

 事前の説明では『エヴァを模したモノ』としか説明してもらえなかったが、それでもデータを取る為だけの機械―――曲がりなりにもエヴァの複製なんだから、機械というのは正確じゃないんだろうけど―――だと言う事理解できた。

 まあ、それは良いんだけど………。

『ぼやけてる……どういう事?』

「なんていうか……感覚がシャープじゃないっていうか……」

『具体的に初号機とどう違うの?』

「ぐ、具体的にって言われましても……」

 リツコさんがきつい眼差しでビシバシ質問―――いや、詰問してくる。

 もちろん、実験を行っているのは僕だけじゃなく、綾波やアスカだっている。

 しかし、先ほどから会話はリツコさんから僕への質問オンリー。

 模擬体を使ったデータ取りというより、模擬体を口実にした僕への尋問タイムと言った感じだ。

 先日の事もあり、疑われているのは判るが……困る。かなり困る。

 エヴァ関係の事だったらどうせ秘密にしてる事もあるわけでもないし、詰問だろうが尋問だろうがされても一切困らないのだ……が……

『………』

 ……通信用の小さなウインドウから漂ってくる怒気。

 ちらりと見たその凄まじい形相だけで、尻尾を巻いて帰りたくなってくる。

『リツコ! いつまで掛かるのよっ! もうかれこれ一時間はこうしてるわよっ!』

『必要なことよ。我慢しなさい』

 にべもないリツコさんの答え。

 ただでさえ細い神経の糸が、ぶちぶちと音を立てて千切れていくのが目に見えるようだ。

 ああ、これはもう駄目だ。切れるな。

 どこか他人事のように考える僕。

 どうか模擬体で暴れ始めない事を祈るだけである。

 だけど、リツコさんはそんな僕の祈りなど全く考慮してくれず、淡々と実験を続けていく。

『感覚が鈍い……ね。シンジ君、右手を動かしてみて』

「は、はい! こうですか?」

 小指から人差し指にかけて順番に折り曲げ拳を握りこむ動作をすると、それを追跡(トレース)するかのように模擬体の大きな手も拳を作る―――いや、作ろうとした。

 だけど、模擬体の手は軽く指を曲げただけで止まってしまった。

 僕自身の手がしっかり拳になっているのに比べ、模擬体の手はまるでジャンケンをしている時にグーかパーか迷って出し損ねたような形になってしまっている。

『パイロット側の信号が40%以上カットされているわね……マヤ、至急擬似プラグと模擬体のデータを総点検』

『はい!』

 リツコさんの指示にマヤさんを初めとする技術部の所員が再び慌しく動き出す。

 ………総点検、ということはまた時間かかるんだろうなぁ。

『もういや……』

 アスカも同じ結論に達したのか、シミュレーションプラグの中でぐったりと力尽きた。

 どうやら怒る気力も切れたらしい。

 さしもの綾波も軽く肩を竦めたのが視界の隅に―――

 

ドクンッ

 

 ―――いきなり、心臓が、鼓動した。

 

 

 バクバクと、僕の心臓が16ビートを激しく奏で始め、全身の血がそれに釣られるように勢い良く流れ始める。

 肌が薄皮一枚剥がれたかのようにビリビリと鋭い感覚を伝えてくる。

 これは……初号機に乗っている時に感じる……いや、

 

 使徒との戦っている時の感覚?

 

 

「リツコさんっっっ!!」

 僕の絶叫と同時に、実験場に大きな警告音と真っ赤なランプが乱舞する。

「一体どうしたの!?」

 それが僕に聞いた言葉なのか、部下に報告を求めた指示なのか判らなかったが、どちらにしても僕に言葉を返す事はできなかった。

「あぐっ……!?」

 右手の中指、そこから鋭い牙を持った蛇が食いついたのではないかと思うほど、強烈で凶悪な痛みが僕を襲ったからだ。

 その蛇は僕の中指を食いつぶすと、まるで・・・そこから僕の右腕に潜り込んできたと錯覚するように腕の中を激痛とともに遡って来た。

「がああああーーー!!」

 蛇を、痛みを押さえつけようと、飾りである操縦桿に右腕を叩きつける。

 しかし、そんなものでは痛みは消えず、僕は狂ったように何度も何度も腕を叩き付けた。

「ーーー! ーー!」

「ーーーっ!」

 周りでは誰かが何かを言った気がしたが、激痛に支配される僕の脳は聴覚をシャットダウンしてしまう。

 ―――と、激痛に歪む視界の中で、僕と同じように激しく地面に腕を叩きつける模擬体が目に入った。

 その光景を見た瞬間、僕のシナプスに電流が走った。

 蛇に蝕まれているのは、僕の腕じゃなくて………!!

「リ…ツコ…さん! 模擬体の…腕にっ……!!」

 そこまで言った所で、激痛で喉から声が出なくなった。

 必死に声を絞り出そうとしても、そこから出てくるのは肺を満たしていたLCLのみ。 連続した激痛に、徐々に全ての感覚が鈍っていく。

 ……思考すら、出来なくなって。

 くそっ……くそっ……。

 ちく……しょう……。

 

 

『右腕強制切断(パージ)!』

ドンッ

 

 

「ひぐぅっ!!」

 右腕が吹き飛ばされるような痛みに、意識が覚醒レベルに強制的に引き上げられた。

 痛みに、顎ががくがくと震えるが……ぎりぃっと歯を食い縛る。

 助かった……一発強烈なのが来たおかげで、戻ってこれた。

 さっきの一撃の所為か、右腕がぶらんと垂れ下がったまま反応しない……激痛でどこか神経がいかれたのかも知れない。

 だけど、今は好都合だ。

 おかげで、あれほど苛んでいた痛みが余韻しか残っていない。

 痛みの引きとともに、回復してきた視覚で周りの状況を確認する為にモニターに目を向け、

『プラグ射出!』

 ……ようとした所で、今度は殺人的なGが僕の全身を襲い、強引に座席に押さえつけた。

 目も眩むような激痛に続いての殺人ジェットコースターに、僕は再び意識が飛びそうになるのを必死に堪えた。

 

(―――綾波、アスカ! ミユウ!)

 

 綾波やアスカ、それにミユウ達は大丈夫なのだろうか………。

 震えるGの中で、それだけが無性に気になった。

 

 

>ミユウ

 

ビービービー

 びくんっと、自分の身体が震えるのを感じた。

 あんな光景を思い出したからだろうか……もうNERVに来てから何度も聞いているこの警告音に、妙に反応している自分がいる。

「「!」」

 マナとサキちゃんが、同時にベンチから立ち上がる。

 二人の焦った表情から思考を読み取ることは酷く簡単だ。

 ―――シンジ君たちに何かあったのかもしれない。

 でも、私の足はベンチに張り付いたまま、動かなかった。

「……ミユウ? 何してるの!? 早く行くよ!」

「早くしないとおにいちゃんがっ……」

 マナが早く早くと、その場で足踏みをし、

 サキちゃんが動かない私の手を握って、立ち上がらせようと引っ張る。

 

 ―――が

 

 

 私は、その手を、振り払った。

 

 

「………ミ、ミユ?」

 呆然とした表情で、振り払われた手と私の顔を見比べるサキちゃん。

 マナも今の光景に、目を丸くして立ち尽くした。

 私はそんな二人に、言った。

 言わなければいけないと、思った。

 

「避難するよ、二人とも」

 

「ミユウ!? な、なにいってんの! シンジに何かあったのかもしれないのよ!?」

「そうだよっ! ミユ、おかしいよっ!」

 

「……それで、私達が行った所で、何が出来るの?」

 

 どこか冷めた気持ちで、絶句する二人に告げた。

「何がって……例え何が出来るか判らなくても、何かしなくちゃいけないでしょうが! そんなことも……そんなこともわからないのっ!?」

「……何が、出来るか判らない?」

 顔を真っ赤にして叫ぶマナに、どこかサディスティックな感情が沸き上がるのを感じた。

 そう、私も、そう思ってる。

 今でも強く、強く、強く。

 強く思えば、きっと何か・・出来る。

 でも、その想いと同じくらい私は、

 ―――理想だけではどうにもならないことを思い知っている。

 

「何が出来るか、何も判らないのに、何も知らないくせに………何か出来るなんて自惚れないで」

「……なっ!?」

「何も知らない人間に、やれることなんてない! 何か・・なんて曖昧な事は絶対に許されない! そんなもの、シンジ君に迷惑をかけるだけっ!」

 

 何も知らない人間に、何かをやる価値はない。

 行動の意味を知らない人間に、何かをやる権利はない。

 何かをやれる筈がない。

 やってはいけない。

 

「だって」

 だって

 

 

 

「たった一人の役立たずが、全てを駄目にしちゃう事だってあるんだからっ!」

 ………この、私のように。

 

 

 

>サキ

「……ミユ」

 いつもの、ミユじゃなかった。

 そこにいたのは、いつものミユじゃなかった。

 

 ボク達の、家族の、ミユじゃなかった。

 

「………判ったら、避難するよ。ここにいたら、シンジ君に迷惑がかかるかも知れないしね」

「ミユ、どうして?」

「……どうして?」

 

 ミユの眉がぴくんと一瞬だけあがる。

 怖かった。

 ボクの知らないミユがそこにいたから。

 だけど、だけど、

 それでも、ミユはミユだから。

 

「……どうして、そんな事言うの?」

「だから言ったでしょっ……それは……」

「違うもんっ!」

 

 ミユが動きを止めた。

 視線がボクを貫く。

 でも、ボクは、

 

「ミユは言ったもん! 何も出来ないかもしれないけど、ボク達はおにいちゃんと一緒にいるって! 何も出来ないかも知れなけど、それでも笑顔でおにいちゃん達のお迎えするんだって!」

 泣くと、あーちゃんやマナに笑われちゃうかもしれないけど、

 ミユが、そんな事を言うのが悲しくて、寂しくて、

 

「何もしない前から諦めるなんてミユじゃないもんっ! ボク達の……ミユじゃない……もんっ!」

 ボクは力いっぱい、

「ミユの、ミユのばかーーー! ふえっ、ふえぇぇぇん……」

 泣いた。

 

 

 

「……ミユウ、何があったのかわたしは知らないけど」

「………」

「ほんと、らしくないよ」

「…………」

「だいたい、馬鹿馬鹿しい位に一直線で、年がら年中シンジの事だけ考えてる色ボケ女じゃないと、ミユウって感じじゃないしー」

「…………何よ、それ」

「正当な評価」

「………蹴るよ」

「どーぞ。それで普通に戻るんだったらねー」

「………蹴らない」

「……(ほっ)」

「でも、戻る。……ありがと」

「礼は……わたしにじゃないでしょー♪」

 

 

 

「サキちゃん、ありがとね」

 

 ミユの頭の撫で方が、なんかおにいちゃんそっくりだった。

 それが、すごく、すごく、嬉しかった。

 

 

 

>シンジ

「はー………」

 MAGIにウイルス型の使徒が侵入したって報告を受けた時は心臓に悪かったが、それからすぐに殲滅成功の報告も届き胸を撫で下ろした。

 幸い、この擬似プラグにも電源は積まれていたらしく、通信類は問題なく使えた。

 まあ、素っ裸なのを忘れて普通に通信繋いだのはまずかったけど……。

「……まあ、先に綾波に繋いだから、まだマシだったかな」

 これがアスカだったら数週間は歩けない身体にされる所だ。

 綾波はほんのり頬を赤く染めて、身体も隠さずこっちを凝視しただけだったし。

 …………いや、アスカの方が良かったかもしれない。色んな意味で。

『シンジー、何がマシなのよー』

「いや、なんでも……」

 ちなみに先ほどから音声通信は入りっぱなしだ。

『シンジー、暇ー』

「いや、僕も暇だし……」

『シンジー、いつになったら救助隊くるのよー』

「いや、僕も待ってるし……」

『シンジー』

 ……ストレスを僕で発散させないで欲しい。

 というか、少しマナが入ってる気がする……言ったら殺されるので、言わないけれど。

『……あーちゃん、碇君が迷惑してるわ』

『そのあーちゃんってのやめなさいよね。それこそ迷惑だわ』

『あーちゃんはあーちゃんだもの』

『……アンタだってレイぴょんとかレンコンとか言われたら嫌でしょ』

『………比較対象が酷すぎるわ』

 あ、ようやく矛先がずれた。

「ま、とにかく、救助待ち……だな」

 それまでは、この仲が良いんだか悪いんだか、とりあえず息のあった漫才を聞きながら、僕は目を閉じて眠りに付くのだった。

 

 

 

 

>ミユウ

 一時の気の迷い、か。

 私はサキちゃんとマナに言った言い訳を反芻した。

 

 気の迷いではあったかもしれない。

 でも、一時ではない………あれはずっと、ずっと私が迷っている事。

 あの時、私はどうすれば良かったのか。

 あの時、何も知らなかった私は何をすれば良かったのか。

 それはシンジ君にも言っていない事。

 

「私は………」

 

 ………お父さんを殺したのは、この私だ。

 

 

 


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