カシャン

 真っ暗だったその空間が、付けられたライトによって照らされる。

 その明るくなった空間に悠然と佇む、紫色の鬼―――

 

「シンジ」

 

 声に反応し、上方にあるガラス越しの部屋を見ると、

 前と同じのように佇む父さんと、前とは違ってそこにいる心配そうな母さん。

 まるで苦虫を噛み殺したかのような、苦渋の表情。

 

 ああ、そうだ―――

 また、ここから僕の戦いが始まるんだ―――

 

 


 

Once again2

〜 再び始まる僕の戦い 〜

 


 

 時は少しだけ遡る。

 

 

ブォォォォンッ

 

 道路を疾走する一台の青いスポーツカー。

 特別非常事態宣言が発令されている為、他の車は一切走っていない道路を信じられない速度で走行していた。

 

「葛城先生! も、もうちょっとスピードを落としてくださいぃ!」

「ごめんね、霧島さん。ちょっちそんな余裕はないから、我慢して」

 後部座席、つまり僕の横に乗っているマナが、運転席に乗っているミサトさんに懇願するが、状況が状況の為サクッと却下される。

 

 まあ………運転してるのがミサトさんじゃ、これが通常時でもスピードは落とさないだろうけど。

 

 ………はっ!

「ミサトさん!! ハンドルを切って!!」

 すぐ後ろまで迫っていた使徒が車に向かって手を向けたのを見た僕は、咄嗟に叫んでいた。

「えっ!?」

 ミサトさんは僕の方をバックミラーで見て、困惑の表情を向けている。

 

 くぅっ! 仕方ない!

 

ガバァ!

 

 僕が後部座席から身を乗り出してハンドルを横に捻ったのと、使徒の掌から光が放たれたのはほぼ同時だった。

 

ドガァァァァ

 

「うわあああ〜〜!」

「「きゃああああ〜〜〜!」」

 

 

 

「……ンジ…」

「……………君、起き……」

「シンジ!!」

 

 はっ。

 僕を呼ぶ声に慌てて身を起こす。

 

―――ズキン

 

 頭が酷く痛んだ。

 思わず頭を押さえると、ぬるっとした液体の感触。

 真っ赤な血―――――。

 

「シ、シンジ! 大丈夫なの!?」

「良かったわ……意識が戻ったのね………」

 

 僕の左右には泣きそうなマナと胸を撫で下ろすミサトさん。

 そうか………あの時、使徒の攻撃を受けて………。

 

「けど、早く止血しないと……それに病院に……っ!」

「マナ……大丈夫。意識もハッキリしてるし、出血も大した事無いから」

「大した事無いって……こんなにでてるのに!」

「ほんとうに大丈夫だから………」

 

 止血の為、ポケットに入っていたハンカチを乱雑に頭に巻いて、辺りを見回す。

 ひっくり返って無残な姿になっているミサトさんのルノー。それに大穴が空いた道路。

 そして、少し離れた場所で赤と青の2体の機体と揉み合う使徒。

 

 アスカ……綾波っ………!

 

「………ミサトさん、さっきからどれくらい経ったんですか?」

「え? ほ、ほんの数分よ」

 頭にハンカチを巻き、使徒を睨みつけていた僕に突然話し掛けられ、ミサトさんは半ば呆然と答える。

 

「シ、シンちゃん。あの二体は味方よ。早くここから離れるのよ!」

「わかってます。早く行きましょう」

 僕が倒れているルノーを起こそうと手を掛けると、呆然としていたミサトさんは慌てて自分も車に駆け寄った。

 

 

 

『わかってます。早く行きましょう』

 彼―――碇シンジ君は確かにそう言った。

 何故彼は、アレが味方だとわかったのか。

 そして、何故離れる・・・ではなく、行きましょう・・・・・・なのか。

 彼はNERVの存在もエヴァの存在も知らない筈だ。

 当然あの赤と青の機体に乗っているパイロットの事も。

 ―――なのに。

 

 

 

ガシャァン

 ゲートが閉まり、車を乗せたカートレインが動き出す。

「特務機関NERV………ですか」

「ええ、そうよ。シンジ君、あなたのお父さんとお母さんが働いてる所。そして、人類を救う所よ」

 

 人類を救う………ね。

 ミサトさんの言葉に僕が苦笑いしている間も、マナは心配そうに僕を見ている。

 『大丈夫だよ』と安心させるようにマナに笑いかけるが、それでも不安顔だ。

 

「それで、シェルターにも行かないで僕に何かさせるんですか? ミサト先生」

「………これから、あなたのお父さんとお母さんの所に行くわ。そこで聞いて」

 僕の質問に、ミサトさんはそう言って答えようとしない。

 

 逃げるの? ミサトさん―――

 中学生の僕を戦わせるという罪悪感から―――

 

 そう口に出さなかったのは、到底僕なんかが言えるセリフじゃなかったから。

 世界を壊した僕が言っていいセリフじゃなかったから。

 

 そんな事を考えているとカートレインは長いゲートを抜け、ジオフロントに入る。

 ビルを天井から生やしたその光景は圧巻といえば圧巻だが―――見慣れた僕はなんの感慨も抱かなかった。

 

「ジオフロント………」

「そうよ、霧島さん。人類最後の砦、ジオフロントよ」

 

 マナの呟きに得意そうに胸を張って答えるミサトさん。

 自分が人類を救うという、そんな自信の溢れたミサトさんの笑顔に―――僕は黙って視線を逸らした。

 

 

 

「………葛城先生〜、いつになったら着くんですか〜?」

「も、もうちょっとよ!」

 

 ………やっぱり、また迷ったか。

 半ば達観しながら、溜息をつく。

 どんな世界だってミサトさんは変わらないんだな。

 

「シンジ?」

 

 黙り込んでいた僕に心配そうにマナが声をかけてくる。

 いけないいけない………ぼーっとしてる場合じゃなかった。

 

「ミサト先生、迷ってるなら早く誰かに迎えに来てもらったほうがいいんじゃないですか?」

「し、失礼ねっ! 迷ってなんかないわよ! ………で、でも、システムは有効に使わなきゃね〜」

 

 調子のいい事を言いながら、いそいそと内線の電話を取るミサトさん。

 はあ………まったく、この人は………。

 僕たちのやり取りに、少しだけ安心したように表情を緩めるマナが印象的だった。

 

 

 

「やっと来たわね、ミサト」

「ごめーん、ここ構造が複雑でさぁ〜」

「あなたが赴任してきてからもう何ヶ月経ったと思ってるのよ」

「うぅ………リツコのいけずぅ〜」

 

 前の世界と変わらないやりとり。

 その懐かしい光景に、僕は目を細めた。

 二人はそれから2・3言、言葉を交わし………僕達に視線を向けた。

 

『だから壊すの………憎いから』

 

ドクンッ

 

 あの時の、綾波達を壊した、あの瞬間の、光景が頭の中に鮮明に蘇る―――。

 酷く、吐き気がした。

 

「シンジ君………それに霧島マナさんね?」

「………はい、リツコ先生」

「は、はい!」

 

 リツコさんの目は以前とは違い、暖かなものだったが………今の僕には到底直視出来るものではなかった。

 この世界でのリツコさんはミサトさんと同じく第壱中学の教師で、科学を担当している。

 おそらく、母さんがいるここでは、リツコさんは父さんの愛人ではないのだろう。

 ミサトさんと同じくその瞳には、罪悪感が詰まっているのが見てとれた。

 

「それで、僕をここに連れてきたのはどういう用ですか?」

「………もうすぐ判るわ」

 

 さっきミサトさんにした質問を放つと、リツコさんも言葉を濁す。

 

 前の世界では冷酷だった科学者が今では人道主義者か。

 でも、やってることは変わりないね。

 

 僕の中の『もう一人の冷静な僕』がそんな言葉を吐き捨てたのを感じる。

 

「………そうですか」

「えっと…えっと………っ」

 

 マナは自分がどうしたらいいのか判断がつかないのだろう、ただオロオロするしかなかった。

 何もいえない自分に葛藤でもしているのか、唇を噛み締めている。

 でも、僕には―――何とかしようとするそのマナの気持ちだけで十分だった。

 

 そっとマナの手を握り、指を絡ませる。

 声には出さず口を動かす。

 『ありがとう』、と。

 マナは目を見開き、泣きそうな表情で俯いた。

 

「さあ―――行きましょう」

 

 僕達二人を呆然と見ていたミサトさんとリツコさんに声を掛ける。

 早くしないと綾波やアスカが危ないから。

 

 

 

 この時のミサトとリツコの考えている事はまったく同じだった。

(本当に………この男の子はシンジ君?)

 

 

 

 

 

カシャン

 真っ暗だったその空間が、付けられたライトによって照らされる。

 その明るくなった空間に悠然と佇む、紫色の鬼―――

 

「シンジ」

 

 声に反応し、上方にあるガラス越しの部屋を見ると、

 前と同じのように佇む父さんと、前とは違ってそこにいる心配そうな母さん。

 まるで苦虫を噛み殺したかのような、苦渋の表情。

 

「………これは、何? 父さん、母さん」

「これは使徒を倒すために作られた人造人………」

「リツコさんは黙っていてください。僕は………父さんと母さんに聞いてるんです!」

 リツコさんの説明を遮り、きっと睨む様に両親を見据える。

 

 この世界は確かに僕が再構成した世界だ。

 でも、分からない事が多すぎる。

 何故、母さんが外にいるのに初号機がこうして通常のまま運用されているのか。

 母さんが取り込まれていないのに、何故綾波が存在しているのか。

 そして………父さんと母さんの目的は何なのか。

 

「あなた………」

「いい、俺から話そう」

 

 父さんは前の世界の様に僕を見下ろしながら、口を開いた。

 

「これは人造人間エヴァンゲリオン。上で暴れている化け物―――使徒と戦う為に作られた物だ」

「そうなんだ………それで、僕にこれを見せてどうしろっていうのさ」

「どうもしなくていい」

 

 ―――――は?

 

「上では現在、アスカ君と綾波レイ君が戦っている―――――シンジ、お前にはそれを見届ける義務がある。その為にここに呼んだのだ」

「な、何を言ってるのさ!?」

「………彼女達は、お前を守る為にエヴァンゲリオン零号機と弐号機のパイロットになったのだ」

 ぎりりっと歯を噛み締める父さん。

「お前にこの事を黙っていたのは済まなかった。しかし、彼女達はお前に負担を掛けないように………」

 

 父さんの謝罪なんてまったく耳に入らなかった。

 戦わなくていい?

 綾波とアスカは僕を守るためにパイロットになった?

 

「じゃ、じゃあ………どうして僕にこれを見せたの?」

 

 僕が震える声を抑えながら、父さんに質問を浴びせる―――――と、父さんは僕から隣に視線を移した・・・・・・・・

 

 

 

 まさか―――――!

 

 

 

「霧島マナ君、これには君が乗るのだ―――――」

 

 

 

「えっ………」

 皆から視線を送られたマナが呆然と立ち尽くす。

 当然だ、いきなり乗れだなんて―――。

「父さんっ! なんで……なんでマナなんだよっ!!」

 

 僕の喉が張り裂けんばかりの絶叫に誰もが目を見開いて驚愕の表情になる。

 何故なら、こんな激しい感情の発露は『この』世界の僕だったら到底ありえないものなのだから。

 

 誰もが黙っていた中、母さんがおずおずと話し出す。

「シ、シンジ。エヴァにはね、チルドレンという特別な才能を持った13〜4才の子供しか乗れないの。だから―――」

「だったら、僕を乗せればいいだろっ!」

「だ、だって………」

 

 言葉を詰まらす母さんを手で制し、父さんが口を開く。

 

「シンジ………お前はチルドレンではない・・・・・・・・・

「なっ!?」

 

 僕は―――チルドレンじゃない!?

 

「霧島さん、ごめんなさい。でも、こうするしかなかったの」

 ミサトさんが苦々しく顔を歪めて、頭を下げる。

「初めてここに来たマナにエヴァの操縦なんて出来るわけがないじゃないかっ!」

 僕は立ち尽くすマナを庇う様にしながら、ミサトさんに怒鳴り散らす。

 

 そこまで言って気がついた―――。

 

「あ―――――」

「………シンジ君?」

「シンジ?」

 

 もしかして………この世界を作った時に僕が戦いを避けたがっていたから………。

 僕の身代わりに・・・・・・・マナが選ばれた。

 

「そんな………そんなのって………」

 

ドカァァァァンッ

 

 衝撃。

 激しい爆発音と同時にケージが揺れる。

 

「奴め、ここに気がついたか」

 

 使徒がここに―――NERV本部に攻撃を開始したということは、綾波とアスカが負けたということだ。

 

「霧島さん、お願い。エヴァに乗って! そうじゃないと人類が滅びちゃうのよ!」

 ミサトさんがマナの肩を掴もうとするのを、僕は間に割り込んで防ぐ。

 

「シンジ君、ガールフレンドが危険な事をするのが嫌なのは分かるわ。でも、そうしなければ人類は―――あなたと霧島さんだって死んでしまうのよ」

 

 今ほど、ミサトさんに怒りを覚えたことはなかった。

 これが自分に向けられたものだったらまだ我慢できただろう。

 

「仕方のない………ことなのよ」

 

 でも、マナに対してのこの言葉だけは――――絶対に許せなかった。

 

「人類の為ですか。ご立派なことですね。あなたの仕事は14歳の女の子を戦場に送り込むことですか」

「なっ………そ、そうじゃない! そうじゃないのシンジ君!」

「いいえ、違いませんね」

 

 僕はミサトさんを睨みつけ、リツコさんを睨みつけ―――――父さんと母さんを睨みつける。

 

「人類の為だったら、女の子の一人ぐらい平気で捨て駒にするって事ですよね」

 

 皆が絶句する。

 たぶん………僕がこんな辛辣な台詞をいうなんて誰一人思わなかったのだろう。

 そういう僕も変わらないじゃないか。

 

「いや、綾波とアスカもいるから3人かな。子供3人の命で全人類を救えるなら、安いって事ですか。あなた達の考えは」

 

キリキリ

 

 自分の一言一句が胸を締め付ける。

 そういう僕も変わらないじゃないか。

 

「シンジ! それは違うわっ! アスカちゃんとレイちゃんは自分から望んで………」

「どうせ僕を引き合いに出して、今みたいに脅迫したんでしょ? 母さん」

 

ズキンズキン

 

 そういう僕も変わらないじゃないか。

 

「シンジ! アスカ君たちの気持ちを何だと思ってっ………」

「子供に戦いを押し付けておいて、アスカ達の気持ちを分かってる? 笑っちゃうよ、父さん」

 

 怒鳴る父さんを嘲り笑う僕。

 皆、罪悪感と後悔に満ちた表情で僕を見ている。

 そういう僕も変わらないじゃないかっっっ!!

 

ドンッ

 

 そんな僕の背中に衝撃が走る。

 振り向くとマナが僕の背中から体に手を回して、しがみついていた。

「シンジィ! もういいっ! もういいよっ! だからこれ以上自分を責めないでっ!」

「マナ………」

 

 僕が震えるマナの肩に手を置こうとした―――――その時、

 

ドカァァァァンッ

 

 もう一度起こった爆発音と衝撃。

 天井の一部が崩れ、僕達に向かって落ちてくる。

 

「きゃああああ〜〜〜! シンジ〜〜〜!」

「「シンジ!」」

「「シンジ君! 霧島さん!」」

 

 あ、この光景―――――

 

 僕はそんな状況にも関わらず、平然と落ちてくる瓦礫を眺めていた。

 

ガコンッ

ザブゥゥゥンッ

 

 ああ―――

 また、助けてくれたんだね―――

 

 大きな紫色の手が瓦礫を弾き、LCLに水柱を立てて着水する。

 僕の、記憶そのままに。

 僕が初号機の顔を見上げると、その目が光った気がした。

 

 そうか―――

 君も僕たちと同じ様に戻ってきていたのか―――

 

 突飛な考えだったが、僕にはそれが真実のように感じられた。

 だって、初号機から感じられる空気はマナと再開した時のように胸がドキドキするから。

 

「………霧島さんを守った? いけるっ!」

 ミサトさんのそんな無粋な台詞が聞こえてきて、僕は静かに苦笑した。

 なんで………この『僕が望んだ世界』は、僕の好きだった人の汚い面を見せてくれるのだろうか。

 これが、世界を壊した僕に課せられた罪なのだろうか?

 

「乗りなさい、霧島さん。そうやっていつまでシンジ君の後ろに隠れているつもりなの? あなたが戦わなければ、みんな死ぬのよ」

 

ギュッ

 

 マナが僕の服の裾を、強く握り締める。

 大丈夫だよ、マナ。

 君に、僕の身代わりなんてさせないから。

 喚くミサトさんを無視して、僕はもう一度初号機を見上げた。

 

「………初号機、お願い」

 

 ポツリと小さく呟く。

 たぶんその声は、僕に抱きついていたマナしか聞こえなかった筈だ。

 

ガキンッ

 

「「「「なっ!?」」」」

 僕達の見ている前で初号機は顎の拘束具を引きちぎり、天を仰いだ。

 

 

 

「ウゥォォォォォォォォォォォォォンッッッッ!!」

 

 

 

 

 

 

「まさか………暴走!? 電源ケーブルも繋がってないのにありえないわ!!」

「ボーっとしてないで逃げるのよっ!!」

 ケージ内で腕を振り回す初号機を目を見開き、驚愕に染まった顔で見つめるリツコ。

 ミサトはそんなリツコの首根っこを掴み、引きずっていく。

 LCLが吹き荒れる中やっとの思いで通路まで辿り付いたミサトは、シンジ達が着いて来ていないことにやっと気が付いた。

「まさか! 逃げ遅れた!?」

 今脱出したばかりのケージを覗き込むと、暴れる初号機の前にシンジとマナがじっと佇んでいた。

「シンジ君! 霧島さん! 早く逃げてっ!」

 シンジはそんなミサトに悲しそうに微笑んで―――

 

ガズンッ

 

 初号機の拳によって、ケージに繋がる扉は瓦礫に塞がれた。

 

 

 

「あなた離してっ! シンジがっ! シンジがっ!」

「落ち着けっ! お前が行ってもどうにもならない!」

 ゲンドウは今にもケージに向かって走り出そうとする妻を押し留めていた。

 だが、その心中は最愛の妻とさほど変わらない。

 今、すぐにでも息子の下へ走りたいのはゲンドウも同じだった。

 しかし、司令としての立場がそれを許さない。

 一刻も早く発令所に戻って地上の様子を見に行かなくてはいけないのだから。

 最後の頼みの綱であった初号機が守りたかった息子に牙を剥くとは―――なんという皮肉だろう。

『子供に戦いを押し付けておいて、アスカ達の気持ちを分かってる? 笑っちゃうよ、父さん』

 先ほど息子が放った言葉の刃がゲンドウの胸をキリキリと締め付けていた。

 

 

 

「………LCL注水」

 

 君に乗るのは久しぶりだね。

 前は君に乗って戦うのがあんなに嫌だったのに。

 今では安らぎすら感じる。

 この血の味がする液体ですら、懐かしく感じる。

 

「神経接続開始」

 

 身体中の神経が高ぶっていくのが分かる。

 まるで在るべき場所に来たかのように全身が歓喜の声を上げている。

 ははっ、武者震いしてるよ。

 

「圧縮ロック解除」

 

 戦闘時怪我しないように抱きかかえていたマナが僕を心配そうに振り向く。

 ―――大丈夫、僕は誰にも負けないよ。

 君達がいる限り。

 そして僕は目を見開き、戦いの狼煙を高々と叫んだ。

 

「シンクロスタートッ!!」

 

 

 

「戦況はどうなってるの!?」

 ―――NERV第一発令所。

 入り口から長い黒髪を翻して入ってきたミサトは、副官の日向マコト二尉に尋ねた。

「現在体制を立て直すため、零号機、弐号機共に一旦使徒から20キロほど後退しています!」

 メインモニターには報告を裏付けるように、兵装ビルの陰に隠れている赤と青の機体が映し出されている。

 

キュゴンッ

 

 使徒は二体の機体には興味ないようにひたすら街を怪光線で焼き払う。

『……街が………』

 呆然と呟く零号機パイロット―――綾波レイ。

『この……糞使徒………っ!』

 心底悔しそうに唇をかみ締める弐号機パイロット―――惣流アスカ。

「レイ、アスカ。焦る気持ちは分かるけど、今は武装を整えるのよ」

『でもっ……』

『だったら早く武器出しなさいよ! ミサト!』

「分かってるわっ! リツコ!」

「後、50秒ちょうだい。マヤ、14番の兵装ビルにパレットガン。15番にソニックグレイブを射出」

「は、はいっ!」

 

キュゴンッ

 

 各々が慌しく動く中、もう一度使徒が仮面から発した光で街を薙ぎ払う。

「リツコ! まだなのっ!?」

「あと30秒よ」

 冷静に淡々と言い放つリツコ。

 だが態度とは裏腹に、額には大量の脂汗が浮かんでいた。

「あっ!」

 ―――と、リツコの助手にして片腕の伊吹マヤ三尉が声を上げる。

「どうしたの、マヤ?」

「使徒の進路方向に……シェルターが………」

 

ダンッ

 

 マヤの口からその言葉が出た途端、ほぼ同時に赤と青の機体が走り出す。

「ま、待ちなさい! 二人とも!」

『待てないっ! あそこには……っ!』

『学校の皆が……シンジがいるっ!』

 二人の言葉にミサトは思わず固まった。

 この子達はあの事を知らない。

 初号機の暴走によって彼はもう既に帰らぬ人になってしまっている事を。

『レイ!』

『うんっ!』

 

キュゴンッ

 

 使徒から放たれた怪光線を左右に分かれて避ける赤と青の機体。

『これなら………』

『どうだぁ〜〜〜!!』

 赤の機体はビルを踏み台にして高く飛び上がり、青の機体は体勢を低く地面を滑るように駆けていく。

 それは土壇場に来て二人の最高の連携攻撃だった。

 片方が落とされても、その隙にもう片方が確実に仕留める―――――

 

ガキィィィィンッ

 

『『なっっ!?』』

 だがそれは、圧倒的な力―――ATフィールドの前に完全に塞き止められてしまった。

「二体のエヴァでも中和し切れてない!」

 リツコの声が響くが、それで状況が変わるわけではない。

 

カッ

ドゴンッ

 

『『きゃあああ〜〜〜!』』

 動きの止まった二体に光が放たれ、ビルを巻き込み吹き飛ばされる。

「零号機、弐号機中破! 駄目です、もう戦闘は………」

 マヤは半ば絶望しながらそこまで報告し………モニターに表示されたデータに目を見開いた。

「こ、これはっ!?」

「マヤ、どうしたの!? 報告しなさい!」

「初号機が……起動しています!」

「初号機だと!?」

 その報告に思わず叫んだのは、指令席にいたゲンドウ。

「は、はいっ………シンクロ率が表示されています! 誰かが初号機を動かしているとしか考えられません!」

「なんだと………」

 ゲンドウ、ユイ、ミサト、リツコの脳裏にある可能性が浮かぶ。

 だが、あの状況で初号機の暴走が収まり、何も知らない素人が初号機を動かすなど―――ありえない。

「シ、シンクロ率急上昇していきます! 現在、90…100…110……止まりませんっ!」

 状況を報告するマヤの声はほとんど悲鳴だった。

 

「ウゥォォォォォォォォンッッ!!」

 

 ビリビリと―――魂を揺さぶるような―――叫び声が響いた―――。

 発令所にいた人間は例外なく、その獣の咆哮に言い知れぬ恐怖を抱き、鳥肌を立てた。

「ひっ………」

 マヤが短い悲鳴を上げて固まる。

 叫び声が聞こえた瞬間から、あらゆる計測器のメーターが振り切れたのだ。

 

ドゴォォォォン

 

 一つの射出口を突き破って、十字の光の柱が噴き出す。

「あ……ぁ………」

 それは誰の呟きだっただろう―――。

 だが、これだけは言える。

 光の柱から紫色の鬼が姿を現した時、誰一人それが人類の味方だとは思わなかった。

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ………」

 

 深く深く―――息を吐く。

 LCLの中でのその行為はまったくの無駄であるという事は分かっていた。

 でも、目の前に立つ緑色の巨人―――第三使徒サキエルの目の前で、僕はどうしようもなく震えていた。

 前回は………為す術もなくやられてしまったのだから。

 

「シンジ………」

 マナが僕の腕の中で、僕の怯えが伝染したかのように身体を震わせる。

 大丈夫………僕はやれる………やってみせるさ………。

 

ジャキンッ

 

 肩のウエポンラックからプログレッシブナイフが飛び出す。

 空中で回転するナイフを逆手に掴み、腰を低く構える。

 

 『前』のあの時、僕は何も出来なかった。

 第三使徒―――こいつや他の使徒との戦いだけじゃない。

 父さんの事、トウジの事、カヲル君の事、アスカの事、綾波の事。

 そして―――マナの事。

 僕は………何も、何も出来なかった。

 何もしなかった。

 

 使徒は動かない。

 僕が―――初号機が動くのを待っているかのように。

 

 たぶん、僕は『前』から成長できたわけでもない。

 今でも僕は意気地なしの『馬鹿シンジ』だから。

 ………でも大切な『愛しい人』と、いつだって一緒に戦ってくれた『相棒の君』がいるから。

 僕はきっと……戦える。

 

「―――――行くよ、初号機」

「ウゥォォォォォォォォンッッ!!」

 

 

 

 

 

 空に向かって咆哮する紫の鬼に、発令所にいたミサトはやっとの思いで声を絞り出す。

 

「リ、リツコ……あれは一体なんなのよ………」

「………分からないわ」

「分からない!? あんたが作った物でしょ!」

「ありえない。ありえないのよ! 10年前ならともかく、『あれ』が勝手に動くなんて事は絶対に………」

 崩れ落ちそうになる身体を、壁に寄り掛かり支えながらそう叫ぶリツコ。

「10年前?」

 ミサトがそれを問いただそうとする前に、使徒が動き始める。

 

 ゆっくりと、第三使徒が右手を初号機に向ける。

 

カッ

ドゴンッ

 

 使徒の手のひらの穴から放たれた光のパイルを、初号機はギリギリまで引き付け横っ飛びに避ける。

 予備動作なしでの跳躍で数kmの距離を移動する紫色の鬼。

 片手と両足を地面に付いて急ブレーキをかけた初号機は、ナイフを油断なく構えて使徒と対峙する。

 

「これは暴走!?」

「いえ、違うわ。暴走ならもっと獣のような行動をする筈よ」

 ミサトの声にリツコはそう答えると、唇を噛み締めて言葉を続ける。

獣は道具ナイフなんて使わないわ。あれは………人間・・

 

 クルンと初号機は手の中のナイフを回し、順手に持ち替える。

「ファァァ………」

 紫の鬼は息を吐き―――地面を蹴った。

 

ギィィィィンッ

 

 使徒に向かって突進する初号機を止めたのは赤い光の壁だった。

「ダメだわ! ATフィールドがある限り、使徒には近づけない!」

 確かにリツコの言葉通り初号機は一歩も先に進めなかった。

 が、紫の鬼は片手を振り上げ―――

 

 一閃

 

「なっ……」

 ATフィールドは一瞬で切裂かれ、それどころか腕を振り下ろした間合いの外だった筈の使徒の片腕まで切り落とされる。

 右腕を失くした使徒は、残った左腕を初号機に向けようとしたが、そんな隙を与えるわけはなかった。

 

ガッギィィィィィィィ

 

 即座に使徒の目の前まで踏み込んだ初号機が、プログナイフをコアに叩き込んだのだ。

 激しくコアから火花が散る。

「やったの!?」

 モニターから目を離さずミサトは思わず叫ぶ。

「いえ、まだです!」

 マヤの声と同時に使徒は身体をゴムマリの様に、初号機の腕にナイフごと巻きつく。

「自爆する気!?」

 

ドゴォォォォォンッ

 

 モニターが真っ白な光に包まれ、轟音と共に発令所は激震に揺さぶられた。

 

 

 

「初号機はどうした!? 伊吹三尉報告しろ!」

 呆然としていた発令所メンバーの中でいち早く正気に戻り、そう叫んだのは最上段にいた司令、碇ゲンドウ。

「は、はい! 現在電波障害でレーダー・計測器系は沈黙。監視カメラは……あっ」

 モニターの映像の中の煙が晴れる。

 だが、そこにあったのは………地面を円状にえぐるクレーターのみだった。

 使徒を圧倒した紫の鬼、エヴァンゲリオン初号機の姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 僕の戦いは再びここから始まる。

 

 

 

 

 

続かない


NG(笑)

「ウゥォォォォォォォォンッッ!!」

 

 ビリビリと―――魂を揺さぶるような―――叫び声が響いた―――。

 ―――が、発令所にいた人間は誰一人としてその獣の咆哮など聞いていなかった。

 全員ポカンと口を開けて、モニターを……正確にはモニターの中の初号機の肩に掴まっている少年を凝視していた。

「―――行けっ、ロボ初号機!」

「ま゛っ」

 


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