「わぁ……これ、頂いて良いんですか?」

「うん、担当の先生には許可貰ったからね」

 目の前に並べられたお弁当を見て歓喜の声を上げる青年に、それを見てにこにこと笑みを浮かべる少女。

 青年の顔は少々の驚きと多量の喜びに彩られ、いささかその冷たい美形とは似つかわしくない物だったが、

 その微笑みは充分すぎるほどに隣の少女を魅了した。

「ほ、ほら、恭ちゃん、入院してからロクな物食べてないでしょ?」

「けど、良く許可貰えましたね?」

 真っ赤な顔をして言い訳じみた事を言う少女に、青年はそれに気付かず疑問を口にした。

 まあ、入院二日目で病院食から引退するのだから、疑問も判らないでもないが。

「あ、身体には異常ないわけだし、むしろ家族の作った料理の方が良いでしょうって」

「そっかぁ、確かにそうですよね」

「うん、愛情の篭った料理が一番だって……あ」

「………あぅ」

 少女が思わず口走った言葉に、お互い顔を真っ赤にして気まずい沈黙が病室を支配する。

 

 

数分後

 

 

「あ、あはは、じゃあ、このお弁当貰いますね」

「う、うん」

 ようやく落ち着いたのか、青年がややぎこちない笑いを浮かべて包みを解き始める。

 少女の方は自分で言った台詞からまだ回復していなかったが、なんとかその言葉に健気に頷いた。

パカッ

「わぁぁ……綺麗なお弁当ですね〜」

「そ、そうかな………よしっ!

 蓋を開け中身を見た途端に出た青年の感想に、少女は小さくガッツポーズを取った。

 今朝、普段でも起きないような時間帯に早起きし、母と必死になって料理をした甲斐があったという物だ

 前は兄や家族から『殺人料理人』『産業廃棄物製造者』『食える食材を食えない毒へと変貌させる達人』などと呼ばれ、散々罵倒されたのが嘘のようだ。

 見たか、恭ちゃん。いや、見てるけど。私だってやればできるんだ―――!

「……あの、食べてもいいですか?」

「あ、どうぞどうぞ♪」

 箸を持ったまま待っていた青年に、少女は満面の笑みで許可を出した。

 今日のは、自分でも怖いぐらいの出来だ。

 この通り、記憶を失っているとはいえ、あの兄ですら食欲を覚えるぐらいなのだ。

 事実、今青年が箸で掴んでいるエビフライなど素晴らしい衣の付き方、形をしており食欲を掻き立てられずにはいられないだろう。

 少女は勝利を確信した。

「それじゃあ、いただきます♪」

はむっ

 

 

 

 その日、青年のカルテには全般健忘性記憶喪失の他に食中毒も追加された。

 見た目が良かっただけ、性質が悪い。

 

 

 

 

 

ピシャァァンッ

「くぅん!」

「薫!」

 

 恭也は今までの人生の中でTOP3に入るくらい驚いた。

(ちなみに他の2つは、士朗が死んだと知らされた時と、自分が女になったと知った時だ)

 

 狐―――久遠がいきなり雷を放った。

 それもある。

 狐は通常電撃など放てない。

 

 駅前で人々が倒れ、パニック状態になっていた。

 それもある。

 普通一大事だ。

 

 だが―――

 

(あの、煙のような白いモヤ・・・・・・・・・はなんだ―――?)

 

 白い霧のような物体が20代前半だろう凛々しい女性と相対していた。

 白い霧はそれなりのスピード・・・・・・・・・で纏わり付こうとするが、女性が低く鋭い声を放つ度に一旦離れ―――そして再び近づく、を繰り返している。

 だが、それも自分達が近づいてきた事によって均衡が崩れた。

 

うぞぞぞぞ

 不気味な音を立てて、白い霧が恭也達の方に向かって来たからだ。

「くぅんっ……!」

「駄目だ久遠! 今撃ったら他の人に当たる!」

 恭也は放電し始めた久遠を呼び止めた。

 即座に頭が戦闘モードへ移行する。

 先ほどは幸運にも人に雷が当たったりしなかったが、今度もそう上手くいくとは限らない。

 あの強烈な雷が人に直撃でもしたら―――洒落にならない。

「美緒さん!」

「うんっ!」

 恭也が久遠をその腕に抱きかかえて美緒に声を掛けると、二人は同時に左右に散らばって向かってくる霧を避けた。

 さほど速いスピードではないが、何度も避けられる速度でもない。

 チッと口の中で軽い舌打ちした恭也は、即座に声を張り上げた。

 

「毒ガスが漏れていますっ! 危険ですので逃げてくださいっ!」

 

 いきなり何を言い出すのだ―――と怪訝な視線を恭也に向けた美緒だったが、すぐにその意図を理解した。

 周りの人間が、その恭也の声に悲鳴を上げて逃げ出した。

 

 数年ほど前に起こった地下鉄サリン事件。

 この事件は今でも国民の脳裏に強く、焼きついている。

 『駅=毒ガス』の公式をあっさり打ち出せてしまうほどに、強く。

 ゆえに、人々は恭也のたった一言で我先にと駆け出した。

 さすがに倒れている人やその知人達はそう簡単に逃げ出せる筈もないが―――それでも、人は激減した。

 

「那美! 陣内! 久遠!」

 よろよろと立ち上がった薫が恭也達にようやく視線を向けた。

 一時的に標的ターゲットから外れ、体勢をようやく立て直す事が出来たのだ。

 だが、ダメージは大きく恭也の目から見ても戦えそうにはない。

 

 この霧が何かはわからない―――だが!

 

「美緒さん! 残った人達をお願いします!」

「え、あ、ちょ、ちょっと、あん……那美! どうする気なのだ!」

「俺は………こいつを倒す!」

 

 この平和な街を、人々を侵すというなら、

 俺の大事な、大好きなこの街を壊すというのなら、

 相手がなんだろうと斬り捨てる!

 

「こいっ! 化け物!」

 恭也はすらりと―――小刀『雪月』を抜き放った。

 

 

 

「無茶だ、那美―――!」

 薫は立つのも困難の身体を気力で支え、声を張り上げた。

 この霊障は強すぎる、自分が万全の体制でも―――例え、五体満足で十六夜が振るえたとしても―――勝てるかどうか判らない、そこまで強力な『力』の持ち主なのだ。

 那美では到底太刀打ちできない。

 『残念』、『想い』、いわゆる霊力の強さだけではない。

 相手は信じられない事に、戦いなれている・・・・・・・

 どんな事を経験し、どのような経緯で霊になり、その後どんな行為をしていたかは判らないが、この霊障は異常だ。

 霊障としては信じられない速度で動き・・・・・・・・・・・、自分を嘲笑い嬲るかのような行動に移せるほどの知能がある―――そんな常識外れの霊障。

 霊力も劣り、退魔師としても未熟な那美に勝てる道理はない!

 

うぞぞぞぞぞぞ

 

 再びあの不気味な音を出しながら、霊障が『那美』に襲い掛かる。

 『那美』はそれを真正面から、雪月を構えて立ち止まり―――

「っ!」

 白い霧の手が『那美』に触れるかいなかのその瞬間、

 

ザンッ!

 

 霊障を上回るスピードで後方に跳躍しながら、置き土産とばかりに霊障を斬り付けた。

 弧を描くように振るわれた雪月の刀身の残光が、思い出したように霊障の身体を切り裂いた。

 

(なっ―――!)

 

 絶句。

 見えなかった。

 その身のこなしもさることながら、『那美』振るったその剣が、

 残光でしか判らないほどに、

 幾千の修羅場を潜り抜けた薫の目にも映らないほどに、

 速かった。 

 

 

 

 

 冷静クレバーになれ。

 恭也はこれまで自分の敵わないような強敵に戦うたびに、祝詞のように唱えていた言葉を呟いた。

 自分より腕の立つ人間など、腐るほど見てきた。

 そのたびに、恭也はそう唱えるのだ。

 

 こいつの方が俺より上だ。

 ―――でも、俺が未熟なだけで、御神の剣が及ばないわけじゃない。

 読めない手を使ってくる、こちらの手は読まれるのに。

 ―――諦める暇があったら、頭を動かせ。この世に勝てない剣などない。

 多数対1、絶対的に不利だ。

 ―――だけど、勝てないわけじゃない。

 

 冷静クレバーになれ。

 そうすれば、必ず手はある。

 こいつの正体は判らない。人ですら、ない。

 ―――だが、斬れるなら話は別だ。

 

 

 

 元来、剣とは一撃必殺を旨とする。

 速度のある強烈な一撃も、フェイントを織り交ぜた連続攻撃も、

 相手の命、もしくは戦闘能力を絶つ一撃を放つ為に繰り出されるものだ。

 刃を相手の急所に滑り込ませるだけで、人間・・は死ぬものだから。

 

 

 

 が、今恭也が相手しているモノは外れている。

 その前提条件からして、違うのだ。

 しかし―――

 

「必ず、勝つ」

 

 それが俺の・・御神の剣だから。

 

 

 

 

 

「信じ、られない……」

 捌き、斬り、避け、斬り、防ぎ、斬る

 霊力は、予想の通り絶対的に足りないのだ。

 だが、『那美』は霊障の攻撃を確実に避けて、斬る

 足りないのなら、いくらでも切り刻むと言う様に、斬る

 一撃に与えるダメージは少ない、しかし確実に霊障を削っていく。

 それはまるで舞踏のように、決められたダンスを踊るように―――。

 

ぐぁぁぁぁぁぁ

 

 その永遠に終わらない苦痛の螺旋に耐え切れなくなったのだろう。

 霊障が『那美』から身を離して一目散に逃げていく。

 刃の届かない、宙へと。

 だが、終幕のベルを鳴らすように、『那美』が鋭く叫んだ。

 

「久遠!」

「くぅんっ!」

 

ピシャァァァァン

 

 天空から降ってきたいかずちに、体を削られ弱った霊障が耐えられる筈もなかった。

 

 

 

 

「薫、大丈夫?」

「くぅん」

 

 『那美』は素晴らしく、強くなった。

 下手をすれば―――いや、間違いなく、自分と肩を並べられるほどに。

 霊力の無さなど関係のない、強さ。

 霊障を切り刻んだ、剣。

 だけど、

 

「あの……怪我はありませんか? 薫……さん?」

 

 攻められる前に全てを消し飛ばす神咲一灯流。

 道を外れてしまった存在モノを倒す為に練られてきた圧倒的な『剛』の剣。

 つまり、あの剣は、『那美』の使う、あの『柔』の剣は、

 

 

 

 神咲一灯流などでは、ない。

 

 

 

続いたら?



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