「みんな、落ち着いて聞いてね」

 恭也の病室に集まった高町家の面々は、桃子の重苦しい口調に息を呑んだ。

「この間、恭也が階段から落ちて怪我したのはみんな知ってるわね?」

 高町美由紀、高町なのは、フィアッセ・クリステラ、城島晶、鳳蓮飛以上5名は黙って頷いた。

 当然だ。その所為でここでこうして入院しているのだから。

 桃子は全員を悲痛な表情で見渡し―――ついにその口を開いた。

「恭也はね―――記憶喪失なの」

 

 ぐらり

 

 その場にいた全員あまりのショックに、病室が傾いたかのような錯覚を受けた。

 なんで、どうして―――。

 記憶喪失? 何が、え、だから―――。

 

「すみません。皆さんの事、何も覚えていないんです」

 混乱しきった皆の思考を打ち切ったのは、当の張本人恭也だった。

 その言葉を理解した者はうつむき、打ちひしがれ、顔を青ざめ、絶句し―――各自の反応は様々だったが、一人だけ目を光らせた者がいた。

 その者は瞬時に思考を巡らせ、ある一つの結論を出した。

 それは―――

 

「恭也―――私はあなたの婚約者のフィアッセ・クリステラだよ」

 

 口火を切ったのはフィアッセだった。

 

「き、恭ちゃん! 恭ちゃんの恋人はこの高町美由紀! 高町美由紀だよっ!!」

「美由紀ちゃん! ずるいでっ! おししょ……恭也さんの彼女はうち、フォン・レンフェイやでっ!」

「黙れこのカメ!! 師匠! オレ……いや、わたしは師匠の弟子兼恋人の城島晶ですっ!」

「おサルが猫被るなっ! ややこしいわっ!」

「なんだとーっ! 表に出やがれっ! この緑ガメ!」

 

 刷り込み、開始(笑)

 

 

 

 

 

 恭也はそんな女性陣を見て、戸惑った声を上げた。

「え……私は桃子さんの夫なんじゃ……?」

「「「「「!?」」」」」

 

 

 

「て、てへ♪ ………だって桃子さん、恭也に若く見られたかったんだもん」

 

 だからと言って、記憶喪失の息子にすることではない。

 

 

 

 

 

 恭也(IN那美)の不幸は加速して行く。

 

 

 

 

 

「破っ!」

 斬。

 徹。

 貫。

 御神の基本技、『斬』『徹』『貫』を順に虚空に向かって放つ。

 調子が良い―――それも信じられないほどに―――。

 恭也は、1日ぶりに(つまりは那美の身体になって以来初めて)爽快感に包まれていた。

 雪月が踊るように、あるいは舞うように日の光の下に輝いている。

 身体が軽い、恭也が感じたのはまずそれだった。

「せいっ!」

ヒュンッ

 円を描くように雪月の軌跡が光る。

 剣の鋭さはさすがに元の身体の方がいいが―――踏み込み、身のこなしは断然こちらの方が上だ。

 それにいつもは鈍痛を常に伝えてくる膝が何ともないのもそれを助長している。

 痛みは集中力を奪い、判断を鈍くする―――まあ、膝の痛みに関してはもう慣れていたが。

「ふぅ……」

 動きを止め、一つだけ息を吐く。

 すると、たったそれだけの事で身体に溜まっていた疲労が抜けていくのを感じる。

「この身体は……凄いな」

 いや、あるいは元の俺の身体がポンコツだっただけかもしれない。

 恭也はそう思い苦笑したが、それを差し引いてもこの身体は凄い。

 御神流の動きに着いていける―――それは実際物凄い事だった。

 御神の剣は戦闘を極限にまで突き詰めていったプロフェッショナル、訓練もろくにしていない身体では着いていく所か、身体を壊すのがオチだ。

 その点、この身体は異常なまでに着いていけた。

 性能も高いが、まるで肉体の限界が常人よりも遥か上にあるように、御神の身体に負担が掛かる動きに対応出来たのだ。

 この分では『神速』すら―――いや、元の身体より安全確実に扱えるだろう。

 力でこそ元の身体が上だが、戦闘能力、潜在能力という点では遥かに―――。

「………だが、おかしい」

 そう、おかしい・・・・

 朝方確かめた、今の自分の身体―――那美の身体は、運動する人間の体付きではなかった。

 それに管理人の耕介さんの話では、『那美』さんはあまり剣の訓練を熱心にやっていたようには思えない。

「………もしかしたら、『那美』さんに似ているのは外見だけで、那美さんの身体ではないのかもしれないな」

 それはある意味当然だ。

 自分は『那美』ではなく『恭也』なのだから。

「いなくなった本物の『那美』さんを探す必要があるかもしれないな……」

 直感だが、それは正しいように恭也には感じられた。

 

チリン

 

「ん?」

 ふと聞こえてきた鈴の音に、恭也は考え事を止めて辺りを見回した。

 と、神社の片隅の茂みから、小さな生き物が顔を出した。

「狐、か。珍しいな」

 恭也はこの辺に度々来ているが、狐を見るのは初めてだった。

 子狐なのと、鈴が付いた首輪を見ると飼われている狐だろう。

「くぅ…ん……?」

 子狐は恭也から少し距離を取った位置で立ち止まり、不思議そうに見上げてくる。

 視線が、合った。

「………」

「………」

 恭也も子狐も、視線を交わしたまま止まった。

 じーっと見続けてくる子狐に、やはり立ち止まったまま子狐を凝視する恭也。

「………」

「………何か用か?」

「くぅん」

 まるでこちらの質問に返事をしたようなタイミングで鳴く。

「………」

「………」

 そして、再び見詰め合う。

 ―――硬直したその場を崩したのは、連載3回目の登場の仕方をした人物の声だった。

 

「那美〜! ジュース買って来たよ〜!」

 

 神社の階段を登りきった所で、美緒は立ち止まった。

 そして、見詰め合う恭也と子狐を見て訝しげに眉に皺を寄せた。

「なにしてんの?」

「いや……」

 恭也が美緒に向かって『この狐が』と言いかけた所で、バシュンッと子狐が音を立てて変身した。

 ……人間の女の子に。

「なっ……」

「久遠、なにやってたの?」

 驚きで声が出ない恭也をよそに美緒が、少女―――耳や尻尾が生えている金色の髪をした―――に話しかける。

 久遠と呼ばれた少女は、質問に答えずに恭也に視線を送り続けている。

 恭也は死ぬほど驚愕していたが、美緒が余りにも平然としていたので態度に出さないよう努力していた。

 ―――『那美』の知り合いかもしれないのだ、この少女も。

「くーおーん、那美に口止めされてるなら気にしないでどんどん喋るのだ」

 美緒は那美と久遠が二人でこそこそ隠れて何かやっていると判断したのか、意地の悪い笑みと口調でそう言った。

 この辺は某シスコン少女漫画家が美緒に影響を与えていたりするのだが、余談でしかない。

「ほらほら、同じ耳・尻尾仲間でしょー?」

 言うが早いや、美緒はごそごそと自分の髪を探り―――

 今度こそ、恭也は自分がぐらりと揺れるのを感じた。

「………み、美緒さん?」

「ふっふっふー、那美がいくら何か隠そうとしても、耳・尻尾同盟のあたし達には無駄無駄なのだー♪」

 いや、そうではなく。

 内心ツッコミを入れながら、恭也は美緒の姿を上から下まで眺めた。

 頭には髪の隙間から出ている猫の耳、スカートの下からは二本の黒い尻尾。

 ―――人間じゃ、ない?

「………誰?」

 か細い、声。

 それを発したのは久遠と呼ばれる少女―――。

 少女は『誰?』と言った。

 状況から言って、確実に『那美』の知り合いであるにもかかわらず、恭也に向かって・・・・・・・

(気付いている!?)

 恭也の背筋に冷ややかな物が走っていく。

 この、少女は気付いている……俺が、『那美』さんの偽者だということに。

「久遠?」

 美緒が訳も判らず、疑問の声を呼びかける。

 ―――まずい、非常にまずい。

 もしも正体がばれてしまったら、住居不法侵入の上、堂々と女子寮に『那美』を騙って泊まっていった事もばれてしまう。

「わ、私、用事を思い出しました。では」

 ぎこちなくそう言って退散しようとして―――

くい

 袖を、久遠に引かれてしまった。

「どうして……那美の姿をしているの……?」

 久遠の口からその言葉が出た瞬間、恭也は一瞬で久遠の手から逃れて林に向かって走り出した。

 が。

「どういう、ことなのだ?」

 まだ良く判っていない様だが―――美緒が恭也の目の前に立っていた。

 いつもよりも格段に上がっている恭也のスピードを、さらに上回ったスピードで美緒が目の前に回りこんだのだ。

「……那美じゃ、ない」

「那美じゃない? 久遠、ほんと?」

「本当……」

 二人の会話を聞き―――いつの間にか久遠が背後に回りこみ、挟み込まれるような形になり―――恭也はタラリと一筋の冷や汗をかいていた。

 ヤバイ―――。

「み、美緒さん、あのですね……」

「こいつが那美の偽者って事は……!!」

ザンッ

 一瞬だった。

 一秒も満たない一瞬で、美緒が飛び掛り腕を恭也に向かって振るった。

 恭也は頭をスウェーして避け、横に飛んで間合いを取った。

 恭也としては本当なら後方に飛び去りたかったのだが、背後には久遠がいるのでそれは出来なかった。

「偽者! 本物の那美はどうしたのだ!!」

「お、落ち着いて俺の話を聞いてください!」

「『俺』? やっぱりその姿は偽りなのだな!?」

「こ、この姿が偽りなのは認めますが、話を……」

「那美を返せっ!」

 再び美緒が飛び掛ってくる。

 動きは素人だが、常人ではないスピード………力も常人ではないのかもしれないが、試す気にはならない。

(くっ、一旦行動不能にしてから話を聞いてもらうしかないかっ)

 瞬時にそう判断すると、恭也は避けるのではなく一歩踏み出した。

「あっ」

 横に振り回そうとした美緒の腕、肘の部分を手で受け止める。

(武器だけではなく、素手でも打撃は近すぎる間合いに弱い)

 腕を掴んだまま、瞬時に背後に回りこみ、肘固めの変形を極めながら地面に美緒の身体を押さえつける。

「離せ! 離すのだ〜〜〜!!」

「落ち着いて下さい美緒さん! 俺は『那美』さんに何もしていません!」

「信じられないのだ〜〜!!」

「………ほんとう、だとおもう」

 関節技を極められている状態でドタバタと暴れる美緒を止めたのは、久遠の小さな一言だった。

「そのひと……わるいひとじゃない」

 

 

 

「つまり……あんたは『たかまちきょうや』で、那美と一緒に階段を転げ落ちた結果こうなったと」

「その通りです」

 先ほどから非常に冷たい視線が、恭也を貫いていた。

 恭也は事情を全部説明したのだが、当然の事ながら美緒の目付きは鋭く半眼になったままだった。

「それで、途方に暮れたアンタは、那美の姿になってる事を良いことに那美を騙って寮に潜り込んだ………」

「……間違いではないです。しかし、さざなみ寮に無理矢理連れて行ったのは美緒さんだったと思うのですが」

「う゛……それはそうだけど、アンタが紛らわしい姿してるのが悪いのだ! それに逃げないで泊まっていったのもアンタなのだ!」

「いえ……真雪さんに捕まってしまって……」

「う゛う゛……で、でも、他にも逃げるチャンスは……」

「……今朝、ランニングを口実に逃げようとしたのですが、美緒さんに捕まって」

「う゛う゛う゛う゛………盗人猛々しいのだーーー!!」

 詰問を一つ一つ恭也が潰していくと、遂に感情が理屈を超えた美緒が爆発した。

 そんな美緒を見た恭也は肩を落とし、深々と頭を下げる。

「……が、美緒さんの言う通りです。理由はどうあれ、俺が女子寮に騙して泊めてもらったのは事実。美緒さんが納得できないのであれば、どうぞ警察に突き出してください」

「………う〜」

 ほとんど土下座のように深々と頭を下げる恭也に、美緒は困った様に唸った。

 基本的に美緒は男は嫌いなのだが、見た目は親友の那美である。

 偽者と判っていても、那美に悲痛な表情で謝られるとどうにも罰が悪い。

 しかも感情に任せていちゃもんを付けて見た物の、この偽者にはちゃんとした理由があったようだ。

 それを警察に突き出すというのはどうだろう……それでは今度はこちらが悪者な気がする。

 それによくよく考えたら那美の姿をしている以上、警察に突き出しても信用してもらえないだろう。

「………判ったのだ。許してやる」

「あ、ありがとうございます」

「だけど、そのかわり条件を飲んでもらうのだ」

「……はい?」

 

 

 那美(IN恭也)の不幸は加速して行く。

 

 

 続けたらいいな



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