「あははははははは、あははははははは」

「きょ、恭ちゃ〜〜〜ん! しっかりして〜〜〜〜!」

 恭也は……いや、『那美』は混乱していた。

 当然だ、起きたら身知らぬ男性になっていたのだから。

 頭の半分以上のネジが吹っ飛び、隣にいる美由紀などには目もくれず壊れた笑いを続け………その日高町恭也(IN那美)は当然のように病院へと輸送された。

 

 

 

(何がどうなってるんだ………)

 一方こちらは神咲那美(IN恭也)。

 彼(彼女?)は呆然と鏡に映った自分の姿を眺めていた。

 そこに映っていたのは見慣れた無愛想な面ではなく、非常に可愛いと呼べる女性の顔が映っていたのだから。

 ペタペタと自分の顔を触る。幻ではない。

 次に体を点検していく。

ふにっ

「…………なんだこれは」

 いや、分かっていた。

 恭也にはそれが何か分かっていた。

 かなり貧相な物だが、胸に付いたその柔らかい感触が何を示すのかは理解していた。

 ただ、認めたくなかっただけだ。

 自分が女になってしまったという事実を。

「落ち着け。落ち着くんだ。状況を把握すれば、対処の仕方も見えてくる。一から考えてみるんだ」

 口の中でぶつぶつと呟く。

 そうだ、何故こんな姿になった?

 原因は………そう、あの階段の事件しか考えられない。

 よくよく自分の姿を確かめてみれば、あの時助けた女生徒のじゃないか。

 あの時は状況が状況だったので顔は確認出来なかったが、少なくとも今着ている制服は同じ物だ。

 それに髪の長さや背丈も同じ………のような気がしないでもない。

「とりあえず、どこまで変わったかだな………」

 そう呟くと、恭也はトイレの個室に入って行き―――

「うわああああああ〜〜〜!」

 ―――一見、まるで冷静沈着に恭也は思考しているように見えたが、その実那美と変わらないぐらい混乱していた。

 

 

 

 

 個室で散々自分ではない(男ですらない)事を確認・・した恭也は途方にくれて校内を彷徨っていた。

(なぜ俺にあんな物がついてるんだ………なぜ俺にあれがついてないんだ……)

 何を確認したかは謎である。

「那美〜」

(これからどうしたものか……こんな格好で家に帰っても信じてもらえるだろうか……)

「那美ぃ〜〜!」

(晶には女らしくしろと何度も注意していたが、まさか俺の方が女らしくなってしまうとは………)

「那美ー! 無視するなー!」

ひょいっ

べちんっ

 恭也が後方から飛んできた蹴りを反射的に避けてしまったのは悪くなかっただろう。

 だがさすがに勢い余って壁に張り付いてしまった女生徒を見た恭也は、罪悪感を感じ抱きかかえた。

「だ、大丈夫ですか?」

「ふ、ふにゃ〜……ひどいのだ、那美〜」

 セーラータイプの制服を身にまとったショートカットの女生徒は恨めしく恭也を見上げてくる。

(那美? ………俺の事か?)

 恭也は内心動揺したが、それを顔には出さず反論することにした。

「……飛び蹴りしてくるのが、悪いと思うのですが」

「そんなことない! 那美が何回呼んでも気付かないのが悪いの!」

 その女生徒は恭也に向かって怒鳴る。

 心の底から怒っているというほどでもないが、怒ってる事には変わりない。

 そう判断した恭也は謝罪することにした。

「すみません。少々呆けていたようです。次からは気をつけます」

「……………」

 恭也が下げた頭を戻し、顔を上げると女生徒はポカンと口を開けていた。

「な、那美……? 熱でもあるの? なんか変だよ……?」

「いえ………少し体調が悪いだけです。今日は早く帰って寝ることにしま……」

 そこまで言って恭也は呆然とした。

 この姿でどうすれば、自分は高町恭也だと家族に信じてもらえる、と。

(いきなり、ホームレスか……まいったな……)

 高町家の皆に詳しい事情を説明するという方法が無くはないが、正直気乗りしない。

 どの面を下げて帰れていうのだ。この女性の面か? 冗談じゃない。

(当初の予定通り、病院に行って時間が掛かるようなら山篭りだな………皆には悪いが、電報などで連絡しておけばいいだろう)

「那美〜?」

 思考を遮る様に、女生徒が顔を覗き込んでくる。

「…っ。すみません。考え事をしていたので」

「もー………とりあえず帰ろ。ほら、鞄持ってきたから」

 女生徒が恭也の腕に通学用鞄を押し付ける。

 反射的に受け取ってしまったが、これは自分ではなく本物・・の持ち物ではないのだろうか?

「い、いや、しかし……」

「ほらほら、早く帰るのだ〜」

 うろたえる恭也を他所に、女生徒は腕を取って恭也を引っ張っていった。

 

 

 

 

 

(まずいな………)

 恭也が女生徒に腕を放して貰ったのは、桜台行きのバスの中だった。

 先ほどから一方的に女生徒が話しているが、どうも住んでいる所が一緒らしい。

 時折出てくる『さざなみ寮』という単語から推測すると、学生寮か何だろう。

「那美、さっきから黙ってばっかだよ? ほんとに調子悪いの?」

「いえ、大丈夫です」

 これも先ほどから何度も交わされているやり取りである。

 罪悪感を抱きながら、恭也はなんとか誤魔化すことに成功している。

(その寮に着いてしまったら手遅れだな……本物と会ってしまう可能性があるし、何より人の家に騙して入るのは余りに常識に欠けている)

 そうこうしている内にバスは高台に着き、女生徒が立ち上がる。

「早く帰って耕介に薬貰おう?」

「………はい」

 耕介とは誰だか恭也には分からなかったが、その寮の人物だろうと思い、とりあえず頷いておく。

(途中で学校に忘れ物をしたと言って引き返せばいいだろう。鞄はこの人に預けて持って行って貰えばいい)

 バスを降りた恭也達は山道を歩いていく。

(………訓練場からそう離れてはいないな)

 周りを見回し、恭也はそう思った。

 事実、美由紀との夜間訓練を行っている山中はここから1kmも離れていなかった。

(そういえば、近くに神社があったな。今夜はそこを寝所にするか………)

 妙齢の女性がそんな場所に泊まるのは非常に危険な行為だが、あいにく今現在の自分の姿を正しく認知していない恭也ではそれに気がつかなかった。

「ねえ、那美。そういえばさ、明日薫来るんだよね?」

「え、ええ」

「五月蝿いけど、会うのは楽しみなのだ〜」

「そ、そうですね………」

 内心冷や汗を浮かべながら、曖昧な返事を返す恭也。

 件の『薫』という人物どころか、『那美』という人物自体しらないのだから当然だ。

ザザッ

(―――ん?)

 茂みが微かに動いた気がした恭也は、その場に立ち止まる。

「どうしたの?」

「いえ、なんでもありません」

「それならいいけど………」

(まずい………そろそろ逃げるつもりだったが、何かがいるかもしれないこの状況でこの人を一人にする訳にはいかない………)

「行きましょう」

「うん」

 女生徒を促し、恭也達は歩き出す。

 頭を戦闘モードに切り替えながら、周囲に気を配る。

ザザッ

(まただ。今度は気のせいでは無い………。この身体でどこまで出来るか分からないが、来るならやってやる)

ガサガサッ

 茂みから黒い影が飛び出してくる。

 確実に―――こちらを狙っている!

「くっ!」

「へっ?」

 とっさに女生徒を腕に抱え、横っ飛びに跳躍する。

 間一髪という所で影が今まで恭也達がいた場所に着地する。

「ちぃ! 避けやがったかっ!」

(女性………?)

 飛び掛ってきたのは眼鏡を掛けた20代後半(いや、30に掛かった所だろうか)の女性だった。

 髪はボサボサ、服装は無地のトレーナーにジーンズという、女性としては終わってそうな格好だ。

 が―――

(なんて殺気だ―――)

 恭也は戦慄し、身体を震わせた。

 眼鏡の奥の目はギラギラと光り、何故か手に握られているGペンが黒光りしている。

(Gペン………暗殺者か?)

 世の中には怪しまれないように日常的にある物を凶器に使う暗殺者がいる。

 下手をすればただの紙っぺらで喉元を切り裂くような連中だ。Gペンとはいえ、気が抜けない。

「真雪!? 何のつもりなのだ!?」

「真雪? し………」

 女生徒が叫んだのを見て思わず『知り合いですか?』と尋ねそうになったが、慌てて口を閉じる。

 恭也が知らないとしても、『那美』の知り合いである可能性はあるのだ。

「決まってるだろーが、猫あーんど神咲妹! アシスタント確保だっ!」

(アシスタント確保? ………まさか、高校生を誘拐して暗殺者に仕立てる気か?)

 あまり有効的な手段とも思えないが、ありえないことでもない。

 ………などと馬鹿な考えを恭也がしていると、『猫』こと女生徒はあとずさる。

「い、いやなのだーーー! あんな地獄もう味わいたくないのだーーー!」

「そう抜かすのは予想済み! だがしかーし! ただでさえ知佳がいなくなってきつくなった工程! 手伝ってもらうぜ!」

 怯える女生徒と何やら目の下にクマを作ってハイテンションな女性。

 恭也には状況が良く分からなかったが、女生徒を暗殺者に差し出す訳にもいかないと一歩前に出た。

「させません―――」

「なんだ、神咲妹? あたしに逆らおうってのか?」

 グゴゴゴゴゴと怪しげな擬音を背負いながら凄んでくる女性。

 だが、恭也は怯まずにその場で構えた。

「お…私の目の前で苦しい思いをしている人がいる………それを黙って見ていられるほど人間を捨てていない」

「おもしれえ……あたしを倒す気でいるのか?」

 恭也が構えるのを見て、真雪が不適に笑う。

「む、無茶なのだ! 那美も修羅場モードに入った真雪の強さは知ってるでしょ!?」

 女生徒が慌てて恭也の腕にしがみつくが、ゆっくりと首を振る。

「大丈夫です―――何かを守るとき、み…私は強さを発揮する………」

(そう、守る時にこそ、その強さの真価を発揮する。それが御神の剣)

「ふっふっふ、いい度胸だ。このあたしに逆らおうなんて奴ぁ、神咲姉以来だ………徹底的になぶってなぶってなぶって、アシスタントにしてやる!」

 どこからいつの間に出したのか分からないが、得物がGペンから木刀に変わっていた。

(あちらは木刀。こちらは素手。しかも、慣れないこの身体。不利は重々承知だ………だが)

「戦えば勝つ。それが御神の理だ」

「うりゃあああ〜〜!」

 真雪が正面から、突っ込んでくる。

 恭也の予想を上回るスピードで向かってきた。

「せいっ!」

ボヒュッ

 辛うじて避けたが、木刀の風を切る音が少し離れた場所にいる女生徒の耳に届くほど強力な一撃だ。

「ま、真雪! 本気は駄目なのだっ!」

「大丈夫だ! 耕介は死ななかった!」

「耕介と那美を一緒にするななのだーーー!」

 そう会話している間にも、切り裂くような斬撃が那美の身体をかすめていく。

 だが、その細い身体に一発も当たってはいなかった。

(この身体でも十分動ける………)

 今まで木刀を回避することだけに専念していた恭也だったが、そう判断するとさらに一歩踏み込んだ。

「なにっ!?」

 真雪は驚愕の声を上げた。

 木刀などの長物は懐に飛び込まれると途端に使い物にならなくなる。

 相手が邪魔で刀を振り下ろせないのだ。

「ちぃっ!」

 真雪は間合いを取ろうと、後ろに飛び去り―――

 右の拳を大きく引く那美(恭也)を見た。

 

小太刀ニ刀御神流・裏・奥技之参

射抜

 

 刀こそ持っていないが、神速の突きが真雪の腹を捉える。

「ぐはあっ………!」

 徹と貫を極限まで突詰めたその拳に、ガードどころか衝撃を緩和することすら出来ず真雪はその場に崩れ落ちた。

「お前の敗因はこちらを素人と侮ったことだ。残念だったな」

「………ま、真雪が負けたのだ。那美が真雪を破ったーーーー!?」

 

 

 女生徒の驚愕の声が辺りに木霊した。

 

 

続かないったら続かない



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