その日、高町恭也がその女生徒に目を留めたのは必然といえば、必然だった。

 

 昼休み、食堂に行こうとした恭也は前方を行くセミロングの女生徒がフラフラしてるのに気が付いた。

 気が付いたというよりは、どうしても目に付いたという感じだが。

 通路の中央を歩いていたかと思うと、ふらふら〜っと横に逸れ壁に頭をぶつけていた。

「うぅ〜………」

 一度その場に蹲って耐えていたかと思うと、再び歩き出し………逆側の壁に頭をぶつける。

「うぅ〜………」

 そんな事を何度も続けているのだ。

 気に止めるなという方が無理だろう。

(これは手を貸した方がいいな)

 しばらく呆然とその光景を眺めていた恭也だったが、そう考え近づいて声を掛けようとする。

 ふと、恭也はこれと同じ光景を以前に見た様な気がした。

(………そうか、なのはか)

 以前、妹の高町なのはが冷蔵庫の中のチューハイをジュースと間違えて飲んでしまう事故があった。

 その後、しばらくなのはは二日酔いでフラフラし……何度も壁に頭をぶつけて『あやや………』と呻いていた。

 二日酔いなどという理由なら手を貸す必要もないかと思わないでもなかったが、そうとも限らないし、二日酔いだったとしても辛い物は辛いのだ。

 あいにく恭也は無愛想な表情とは裏腹にお人よしだった。

 

 

 ―――と、前方の女生徒の姿が消えた。

 いや、ちょっと目を放した隙に横に曲がったのだ。

(―――横に?)

 学校の作りという物はどこも単純で、ほぼ真っ直ぐに作られている。

 この学校も例外ではなく、風校と海校の校舎間以外は折れ曲がったりする道はない。

 そう、『階段』を除いては。

「っ!」

 その事実に気が付いた慌てて恭也は駆け出した。

 通路を真っ直ぐに歩けないほどフラフラした女生徒。

 そして、階段。

 それにより起こる出来事を想像するのは容易かった。

 

「ひゃっ……」

 案の定、通路を曲がった恭也の見た物は、バランスを崩して階段から落下する女生徒―――。

 

ドクンッ

 

 頭の中でスイッチが入る。

 周りの背景が色を失い、落下していく女生徒がゆっくりとしたスピードになる。

(神速! 間に合うかっ!?)

 重くなった身体で恭也は短い距離を掛けていく。

 が、女生徒はその間にも落下していく―――このままでは間に合わない。

(くっ、南無三!)

 ダンッと、恭也は冷たい廊下の床を蹴った。

 恭也は跳躍し、宙に浮いている女生徒の腕を掴む事に成功した。

 しかし、既に恭也も全身を浮かし、後は階段を転げ落ちていくのみだ。

(すまないっ!)

 恭也は心の中で見知らぬ女生徒に一言謝ると、腕を思い切り引きその反動で後方―――廊下に身体を投げた。

 上手い具合に女生徒は廊下に尻餅を付いた様だった。

 

 ―――その瞬間、神速の域から抜ける。

 

ズダダダダーンッ

 

 下まで物凄い勢いで転がり落ちる恭也。

「ぐあっ………」

 あまりの衝撃に意識が飛ぶ。

 だが、なんとか受身を取る事に成功し、恭也は大きな怪我もせずに階段の踊り場に身を転がした。

「だ、大丈夫ですかぁ〜〜〜〜!?」

 階段の上から女生徒の声が聞こえる。

 恭也の神速が見えていた訳ではないだろうが、現状から状況を理解したのだろう。

 恭也は朦朧する意識の中、『大丈夫だ』と言う意思を伝えるべく顔を振り上げ―――

「わ、わわぁ〜〜!?」

 階段の上から落下してくる女生徒を呆然と見つめた。

 

ごちーーーんっ

 

(お、俺は何の為に………?)

 さすがの恭也と言えども防御すら出来ず、女生徒のフライングヘッドバットを受けてあっさりと意識を手放した。

 

 

 

 

 

ズキンッ

 激しい頭の痛みで恭也は目を覚ました。

 視界にまず映ったのは白い天井。

 横に頭を傾けると、白いカーテン。

 そして、自分は白いベットに寝ているようだった。

(保健室か………そうか、階段から転げ落ちて………)

 そこまで考えて、階段の上から迫ってくる女生徒の顔………というか頭を思い出す。

 温厚な恭也もそれにはムカッと来る物があるが、わざとではないと思い直し改めて白い天井に目を向けた。

「はぁ………」

 ズキンズキンと痛む頭に、思わず溜息を付く。

 頭以外に痛む場所はないが、今日の訓練は中止だろう。

(フィアッセに連絡して迎えに来てもらうか?)

 あまりの頭痛と身体のダルさに普段では考えないような甘い事まで考えてしまう。

 もっとも、翠屋のチーフ本人が聞いたら大喜びだろうが。

「恭ちゃん、生きてるー?」

 カーテンの向こうから妹、高町美由紀の声が聞こえてくる。

 恐らく身内である美由紀に、恭也が保健室に運び込まれたという連絡が行ったのだろう。

(………恥だ)

 出来れば狸寝入りしたい所だが、そうもいくまい。

 そう判断した恭也は出来るだけ平静に返事をした………つもりだった。

「ああ………っ!?」

 声が変だ。

 つーか、高すぎ。

 まるで………。

「女の声だ………」

 そう呟く声は紛れもなく女性の声だった。

(まさか、階段から落ちた時に声帯がおかしくなったのか? いや、しかし、声が出なくなったとか、少しおかしくなった程度ならともかく………)

 おかしくなったなどと言う次元ではない。

 はっきり言って別人だ。

「………恭ちゃん?」

 美由紀の怪訝そうな声が聞こえてくる。

(い、いかん……なんとか誤魔化さなくては)

 もしも声の事がばれたら、高町家に帰ってからいい笑いものだろう。

 いや、笑わないかもしれないが、笑うのを我慢して顔を引きつらせるのは明白である。

(よし……声を出さずになんとか動作だけで誤魔化そう。で、治るまでは山篭りだ)

 そう決意すると、ベットの上に座って待ち構える。

(ん?)

 起き上がった瞬間、恭也は何か激しい違和感に囚われたが、そんな事を考えている場合ではないとカーテンの向こうを見据えた。

シャッ

 美由紀の手によって、カーテンが開かれる。

「………」

「………」

 見つめ合う恭也と美由紀。

 恭也は今か今かと美由紀が何か言うのを待っている。

 動作―――つまり頷くだけでやり過すには美由紀から話し掛けてもらわなくてはならないのだ。

(どうした? 早く何か言え……)

 そんな事を考えている恭也に美由紀はペコリと頭を下げた。

「ごめんなさい。間違えました」

シャッ

 カーテンが閉じられる。

(…………何故?)

 事態がまったく飲み込めない恭也。

(どうして美由紀が他人の振りをする? 顔に何か付いているのか?)

 自分の顔に触れてみると、いつもとは格段に違う感触。

 なんというか、すべすべしていてふにふにしている。

(もしかして、俺だと言うことが分からないほど顔が腫れているのか?)

 しかし、階段から落ちた時、頭は反射的に庇っていた。

 腫れているという事はない………と恭也は思った。

「あれー? 恭ちゃんいないなぁ………」

(………間抜けめ)

 いくら顔が腫れているかどうなっているか分からないが、兄の事が分からないとは。

 恭也は次の訓練で徹底的にしごいてやると強く誓った。

(だが、好都合だ……今のうちにここを抜け出して病院にいこう)

 一刻も早く声(もしかしたら顔も)を直さなくてはならない。

 笑い者になりたくない恭也は気配を消してそっとベットから抜け出して………気付いた。

(なっ!?)

 声を上げなかった恭也は賞賛に値するだろう。

 なぜならようやく恭也は自分が女子の制服を着ていたのに気付いたのだから。

(こ、これかっ! 美由紀が他人の振りをしていた原因は!)

 脳内で絶叫する。

 これほど死にたいと思ったのは、幼い頃膝を壊して以来だ。

 確かに身内が女装がしていたら(身内に男性は存在しないが)、自分でも他人の振りをするだろう。

 いや、斬り捨てるかもしれない。

(とにかく誰の目も届かない所に行こう………)

 自分が気絶している間に女装をさせた人物に復讐を深く深く誓いながら、恭也は保健室を後にした。

 

「あれ? 恭ちゃん、なんで鏡の前に倒れてるの?」

 と言う、美由紀の声に気が付かずに。

 

 

 

 

 

(どうする……学校の中では誰かに見つかるのは時間の問題だ………)

 恭也は御神の剣士としての技術をフル活用し、気配を殺して階段の下にある用具室に隠れていた。

 運の良い事に現在は既に放課後をかなり過ぎている様で、人はほとんど通らない。

 外のグラウンドから運動部の掛け声が聞こえるだけだ。

 しかし、恭也の気分はどん底に落ちていた。

(情けない……御神の剣士として、いや、男として人間として失格だ………)

 スースーするスカートが恭也を激しく自己嫌悪に走らせる。

 今見つかったらまず間違いなく変態として捕まるだろう。

 だがしかし、さきほど姿を見られてしまった美由紀は後の訓練時に口封じするとして、他の者に見つからなければなかった事にするのは容易だ。

(そうか、トイレだ)

 トイレでなら安心して着替えられる。

(待て。着替えがない………いや、教室に行けば、体育着があった筈だな)

 しかし、教室に人がいないとも限らない。

 恭也は二側反律に悩ませられながらも、なんとかこれからの行動の指針をまとめていく。

(トイレで潜伏。生徒が全員帰ったのを確認して、教室に体育着を取りに行く)

 言わば、逆転の発想だ。

 第一目的は着替える事ではなく、見つからない事だ。

 隠れている間はこの格好でいなければならないが、背に腹は変えられない。

(よし、行くぞ)

 

 

 

 

 

 何度か教師や生徒に見つかりそうになるというアクシデントはあったものの、無事恭也は一階東の男子トイレに辿り着いた。

(良くやった……良くやったぞ俺)

 ………どこか壊れてしまったようだが。

きぃ

 ドアの隙間から中に人がいない事を確認し、身を滑り込ませる。

「ふぅ………ようやく、一息つけるな」

 ドアを背に大きく溜息を付く恭也。

(幸いここなら水もトイレもある。数時間潜むぐらいなら問題無いだろう)

 改めて自分の格好を見下ろす。

 ―――と、恭也は気付いた。

 この制服は先ほど、階段から落ちた女生徒と同じタイプの制服だった。

 ちらっと見ただけだが、はっきり覚えている。

 赤いリボンがチャームポイントの茶色のブレザー。

 赤い短めのスカート。

 折れそうな細い腕。

 細く白い足。

 控えめな胸………。

「って、ちょっと待てっ!!」

 

(女生徒と同じ制服を着ているのは百万歩譲って許そう。

 だがしかし、『細い腕』『白い足』『控えめな胸』までが付いているのは何故だ?)

 

 鼓動が激しくなる。

 神速を使った後なんぞと比べようが無いほどに呼吸が乱れる。

「落ち着け、落ち着くんだ。深呼吸しろ。目を瞑って気を落ち着ければこんな物消えて………」

 消えなかった。

 ついでに目を開いた先は鏡だった。

 ―――そこに映っていたのはもちろん見慣れた無愛想な自分の顔ではなく。

「なんでだーーーーーーーーーっ!?」

 

 

 

 こうして高町恭也は、

 神咲那美として生まれ変わった。

 

 

 

続かない(またか)



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